6月14日(日)付の毎日新聞を開いたら、2面に山極寿一さん(京大総長)の「時代の風」が載っており、そのタイトルが「アートとサイエンス」と書かれていました。
http://mainichi.jp/shimen/news/20150614ddm002070061000c.html
ちょうど先々週の6月3日に、東京医科歯科大学で開講している「医療と造形」の担当教員の歓送・歓迎会がありました。本当は3月末にやる予定だったのですが、日程の調整の関係でこんなにずれ込んでしまいました。そこで、物理の学部を卒業後に芸大に入学した人がいて、その作品の話(見えないものを見るなど)から、話が転び、小生が日ごろから感じていること、すなわち、サイエンスとアートはとても近しい関係にあるということを論じた(というほどではありませんが)ばかりだったので、この記事を読んで、同じように考えている人がいるんだと、うれしくなりました。
ここでいうサイエンスとは、もちろん、このところ盛んに言われている「科学技術」と中ぽつのないものではありません。本来の科学、すなわち自然のありようとか仕組みを説明したいという欲求から、自然を観察し、そのありようや仕組みを実証的に説明する作業のことです。
山極さんの記事の中では、この4月に「京大おもろトーク:アートな京大を目指して」というイベントを開催し、狂言師の茂山千三郎さん、メディアアートの土佐尚子さん、ゴリラ研究者の山極さんが、「垣根を越えてみまひょか?」と鼎談をしたそうです。この中で「オリジナリティー」がアートとサイエンスに共通した価値観で、それをどう表現(説明)するかは両者で少し異なるが、根底ではかなり似通っている点があるといっています。
このコラムの最後に、山極さんは「技術を偏重する傾向の強い昨今、アートの心で垣根を越え、新しい常識を生み出すサイエンスが求められている。現代の大学にはアートの発想がもっと必要なのではないだろうか。」と結んでいました。まったくその通りだと思いました。医療と造形の指導をしていただいている教員のアーティストと、授業の休み時間や終わった後に雑談をすると、観察、仮説、表現ということや、実利を求めないことなど、本当に共通した土台があると感じます。技術へ流されている今の科学は、もっとアートと手を携えて、社会に発信していく必要があるのではないでしょうか。