「つぶやき」カテゴリーアーカイブ

フランスにいたよ(6)パーティーだー

これまで、娘の結婚式の披露宴、義理の息子(娘の旦那)のお母さんであるBrigitteのお姉さんの旦那の退職記念パーティー、と2度のパーティーをフランスで経験しましたが、今度の結婚40周年記念パーティーも同じような形式でした。

まず会場ですが、田舎の一軒家みたいなところが貸会場になっていて、そこを借りて行います。今回はこんな感じです。

テーブルは会場に用意されているのですが、食器や飲み物、食べ物は持ち込み、テーブルの飾りつけも自前でやります。おとといはナプキン、当日の朝にはオードブルの用意をみんなでしました。かをりはPhilippeの折った折り紙に華を添えるために、動画を見ながらカニの折紙を苦労して折って用意しました。

我々も会場へ出発。先に出たPhilippe&Brigitteが、テーブルセッティングを済ませていました。

お人形の台座、平たい小石はこんなふうに使われていたんですね。このブルターニュ地方の衣装を着た人形は、Brigitteの姪御さんが制作したもので、10組、それぞれポーズが異なるものがありました。テーブルには40の数字が散らばっています。

今朝作ったオードブルとワインからパーティーは始まります。

参加するのは、Phillippe & Brigitteの兄弟とその子供たちとそのつれあい、その子供たちです。例外的に子供の連れ合いの両親というのもありますが(我々です)。Philippeは6人兄弟、Brigitteは5人兄弟なので、結構の人数の参加者です。

パワーポイントで二人の結婚とその後のFamily historyが紹介されました。みんなそれを見入っています。40年の凝縮です。

でもってメインの食事はガレットでした。ガレットというのはクレープの原型ともいうべきもので、ブルターニュ地方が発祥の地です。そば粉を使った薄い塩味のクレープと思えばいいでしょう。懇親会に屋台のお蕎麦屋さんが出ているのと同じで、二人の焼き屋さんがいて、こちらの注文に応じてキノコやハム、卵、チーズなどの中身を組み合わせて焼いてくれるのです。

ガレットはとても薄いのですが、中身が濃いので一枚でかなりのボリュームになります。中身を変えて3枚も食べてしまいました。メインの後には、中身をジャムなどにしたデザートを注文できます。

テーブルではおしゃべりの花が咲き、まさにファミリー・リユニオンです。
写真は右から娘、旦那Guillaume、Yves(Brigitteのお姉さんの旦那)
7時半から始まったパーティーは、もう11時近くになっています。ここでPhilippe&Brigitteがマイクを持って、みんなからのプレゼントのお披露目です。でもちょっとその前に。お二人の40年前の結婚式の時の写真が会場の入り口にあって、参会者はサインをするようにとのことだったので、その写真をパチリと撮ったものを載せておきます。時の流れを感じます(人様のことは言えないのですけれど)。

プレゼントはいろいろあって、紹介しきれないのですが、カリグラフィーの先生からのプレゼントはこんなものでした。Philippeはギターを、Brigitteはアコーディオンを弾くのです。
右端でアコーディオンを弾いているのは、Brigitteのお姉さん(Yvesの奥さん)です。こうしてダンスが始まりました。ブルターニュ地方の輪になって踊る、あれです。 昔から、盆踊りの輪に入っていけなかった小生は、輪の外で写真を撮るのみ。踊りはまだまだ続きます。もう午前1時です。疲れた子供たちは、会場の庭に張ったテントへ、あるいは部屋の隅にマットを敷いて、、眠れるんでしょうか。

パーティーはまだ終わっていないけれど、我々も1時過ぎに家に送ってもらって眠りにつきました。だからパーティーが何時にお開きになったかは知りません。


フランスにいたよ(5)ラクトディ―周辺

この週末、29日には今回フランスへ来た最大の目的であるPhillippe & Brigitteの結婚40周年記念パーティーが開かれます。テーブルの飾りつけの折紙を用意したり、小物を購入したりして、着々と準備を進めているようです。まだ少し時間があるので、ラクトディ―とその周辺のことをもう少し書いておきます。下の写真は、GoogleEarthから取得したラクトディ―の港と街の写真です。

前回、フィジャックの教会のことを書きましたが、ラクトディ―にも、ダウンタウンの港近くに聖チュディー教会(Eglise  Saint-Tudy)があります。上の写真の中央やや左よりに見える長方形の区画にある建物です。

結構古い教会で、英文のパンフレットによると、名前は5、6世紀にウェールズから来た修道士Saint Tudyに因んでつけられたとのこと、ウェールズのコーンウォールには同名の村があります。ブルターニュとウェールズのつながりを示す事例の一つです。ちなみにラクトディ―も、Loc(=place) + St Tudyから来ているとか。ともかくかなり古い時代に修道院がこの辺りに建てられ、その後ヴァイキングに破壊されて、、というような歴史があり、11世紀から12世紀にかけて、現在の地にロマネスク様式の教会が建てられたようです。
上の写真は、西側から撮ったもの、下の写真は東側から撮ったものです(撮影日が異なるので空の様子が違います)。
内部はこのようになっています。ゴシック様式とはだいぶ違うことがわかります。内部に入ると東側の祭壇はこんな感じです。

何度も補修しているらしく、新しい壁材がかなりの部分を占めていますが、古いものらしい壁材には特徴的な文様が浮き彫りになっています。ケルトの文様を思わせるものです。
この時は気が付かなかったのですが、柱の基部にもそれがうかがえるようです(写真はフランスのWikipediaより)。
2枚目の説明には「アダムとイブか」とありました。壁には、Saint Tudyと大天使ミカエルの幟がかかっていました。

振り返って、西側を見上げると、立派なパイプオルガンが備えられています。そういえば、フィジャックの教会のどちらにもありました。誰かが演奏をしています。どうやら練習をしているようです。日本ではパイプオルガンを練習しようとするとオルガンを見つけるのが大変ですが、こちらではどこにもあるという感じです。椎名雄一郎さん(新宿高校の同学年の友人のご子息)のことをふと思い出しました。つい先日、東京カテドラルでの演奏会を聴きに行ったものですから。

ブルターニュ地方は、新石器時代の遺跡である巨石遺跡群がたくさんあります。カルナックの遺跡群が規模が大きく有名ですが、ラクトディ―近くにもいくつもあり、そこへ連れて行ってもらいました。

ドルメン(支石墓)は、平たい石を組み合わせてテーブル上の構造を作り遺体を埋葬し、本来は土で覆われていたものが時間が経って石組みが露出してしまったと考えられています。最初に行ったのはKervadolのドルメンです。

少し歩いて次がQuelarnのドルメン。

あと林の中や畑の脇などを通って、3つだったか尋ねたのですが、場所がわかりません。道端にごく普通にあり、特別な説明もありません(上の2つには説明板がありました)。生活の中に溶け込んでいるというか、道端のお地蔵さんといった感じでしょうか。
最後のなどはかなり大きいのですが。

別の日ですが、Chapelle Notre-Dame-de-Tronoenを訪れました。このチャペルの庭には古いカルベールがあるのです。カルベール(Calvaire)とは、教会の敷地内にある石でできた長方形のモニュメントで、四面に彫刻が施してあり、キリストの一生が描かれています。そしててっぺんはゴルゴタの丘になっていて、キリストの磔刑と、ピエタの彫刻があります。

ボランティア(?)のガイドさんが、長い指示棒で、それぞれの彫刻を指しながら団体の人たちに説明していました。15世紀中ごろのものなので、だいぶ脆くなっているようでした。そのため指示棒の先端は綿入り帽子をかぶせてありました。説明板によると、当初は極彩色に彩られていて、あたかもcomic stip(絵巻物)のようなものだったそうです。東面の下側から順に時計方向に回って、一回りしたら上の段に移り、辿っていくと、キリストの一生を追えるわけです。特徴として聖母マリアは出産のためにbare breastでベッドに横になっている、とありました。たしかに、、。次のは最後の晩餐でしょうか。

キリストは最後は丘の上で、他の罪人2人と磔刑になります。そしてピエタと復活と、続くのでしょう。

ここのカルベールは、ブルターニュ地方の7大カルベールの一つらしいです。

そうそう、ドルメンを訪ねて歩いた時に、歩きながら平たい石を集めていました。手ごろな大きさの平たい石、何に使うんでしょうかね。

 


フランスにいたよ(4)フィジャックにて

7月22日の夕方に、フィジャックに着きました。町の脇を川沿いに抜けて、少し行ったところを左に折れて、細い山道を登ったところにイエイエの家がありました。

上の写真は、道に面した方から撮影したもの、次の写真はこの建物の向こう側から撮ったもの、手前は広い庭になっています。

この位置から左の方と右の方を望んだ写真です。広ーい、の一言です。

家の中を案内してもらいました。介護をしてくれる一家が住み込めるように増築したけれど、現在は通いでお願いしているそうで、部屋数がたくさんあります。我々が使った寝室、アンティークなものがいろいろと飾られていました。

謎の紙束。これは何でしょう、あとで明らかになります。

孫たちが来るので、いろいろな遊具がそろっています。

サラダと各種サラミソーセージのアペタイザーとワインで夕食が始まります。ワインはロゼが最初に出て、後で赤でした。それとカモ肉のリエット。薄く切ったパンに塗っていただきます。ふつうは豚肉のリエットですが、フィジャックはフォアグラが特産なので、余ったカモ肉を使ってリエットを作るそうです。

テラスでゆっくりと食事を楽しみ、その後、眠りにつきました。

翌日(7月23日)は午前中にフィジャックの街へみんなでお買い物。午後に再び今度はかをりと二人でフィジャックの旧市街を散歩、ツーリストインフォで街の歩き方を教えてもらって、その地図にある番号通りに歩いてみました。翌々日(7月24日)の月曜日にはシャンポリオン博物館に行きました。これらをまとめて、フィジャック旧市街の散策について述べてみます。

フィジャックは中世の街並みがあちこちに残っている、とても興味ある小さな町です。下の2枚の写真はGoogleEarthからのものと、ツーリストインフォでもらった地図をスキャンしたものです。

セレ川の北に、三角おむすびのような形をしたフィジャックの旧市街があり、昔はぐるりを城壁で囲まれていたのでしょう、上端(北側)から左側を下に向かって「中世の城壁(Rampart medieval)とあり、一部が残っているようです。おむすびのほぼ中心に三角形の広場、シャンポリオン広場があり、その周りには茶色い瓦の古い建物が建ち並んでいます。

シャンポリオン広場から左へ少し行ったところにカルノー広場があります。カルノー広場の大部分は屋根で覆われていて、その下では市場が立ちます。23日には骨董屋さんの、というかガラクタ市場が立っていました。

街には大きな建物が2つあります。北東側にあるのがノートルダム・ド・ピュイ教会、川のそばにあるのがフィジャックで一番大きな建物であるサン=ソーヴル教会です。街はシャンポリオン広場あたりから上りになっているので、ノートルダム・ド・ピュイ教会は高台の上にある感じです。

今日の午前に駐車して、西側から旧市街に入る寸前に左を見ると斜面がありました。これが地図にあるジグザグのEscaliers du Calvaireでした。だいぶ上っていますよね。

さて、23日の午後の旧市街探検、出発点はツーリストインフォです(上の地図の①)。この建物も古いもので、13世紀に建てられた、かつての造幣局だとか。

地図の矢印と壁に貼ってあるキーマークを対応させながら、歩きます。途中目にした路地や建物など。

これでサン=ソーヴル教会に着きました。中をちらっと覗いて、先を急ぎましたが、柱頭彫刻や聖水盤置きの彫刻など見るべきものがあったようです。

教会の裏手を回って、古い建物を見ながら、キャナル通りからエミール・ゾラ通りを通って街の中心に向かいます。ますぐ向かわずに、南へぐるっと迂回してカルノー広場を通ってシャンポリオン広場に戻ってきました。途中で目にした建物、外観は古そうですが、人が住み、商売をしています。大切に守っているのですね。

シャンポリオン広場を横切らず、すぐの左折してエクリチュール広場に向かいます。ここにはロゼッタストーンの大きなレプリカがあります。

シャンポリオン博物館横の狭い路地を通って広場に戻り、緩い坂を北に向かって少し進みます。

少し行くと左手に市役所があり、中に入るとHeritage Centaerにこの町の歴史が展示されていました。でも説明がフランス語で全然わからず、通り抜けて裏庭に出ます。パピルスが植えられていました。

ふたたび細い路地を通って広場に戻り、広場を横切ってエミール・ゾラ通りを少し行き、Rue Delzhens(発音分からない)へ左折して入り、狭い登坂を北へ進みます。するとノートルダム・ド・ピュイ教会の下に出ます。高台にあるので、旧市街を見下ろすことができます。下の写真、太陽の位置の関係で東方向を見ています。街の中心はもっと右にあるのですが、、。

教会の中をちらっと覗いて、

少し急いで出発点まで戻りました。迎えの約束に時間が迫ってきたからです。その途中の写真です。

こうして2時間ほどの街歩きは終わりました。家に戻ってオークの木の下でしばし休みました。どう歩いたのかを復習しながら。

昨日の街歩きでは時間の関係でスキップした、シャンポリオン博物館を訪ねました。

事前に本を読んで予習をして期待していったのですが、、、期待外れでした。説明は全部フランス語、英語のオーディオガイド(英語)を借りましたが、これもエジプト学についての説明が多く、シャンポリオンについての説明はあまりありませんでした。博物館は4階建てなのですが、1階がシャンポリオン関係の展示とエジプト学の展示、シャンポリオンの人となりなどの説明はほとんどありませんでした。2階から上は文字の歴史のような展示、ハムラビ法典のレプリカとか、漢字の歴史とか。なるほど、この博物館の正式名称が、Musee Champollion – Les Ecritures du Mondeであるように、シャンポリオン博物館というよりは、世界の文字の博物館というほうが正しいようです。


ただ、最上階のテラスからシャンポリオン広場を見下ろす景色はとてもよかったです。向かいの建物の上部もよく見えましたし。

フィジャック旧市街については、これで終わりです。ちなみにフィジャックについては、このサイトが写真満載で充実しています。

この間にももちろん、緑陰でリラックス、孫たちとの交流、さらにおいしい食事などがありましたが、ほぼ省略。主なものを載せておきます。

ガレージから復元した手回オルガン(ストリートオルガン)を出してきて演奏会です。車付きのかなり立派なものです。最初の方に出てきた紙束は、これの楽譜だったんです。一定のスピードで回す必要があるので、かなり疲れますが、ちょっと乗ってる感じですね。

最後の夕食はシャンパンで始まりました。

7月25日の朝、フィジャックを後にしました。

娘夫婦は途中で友達と会うために別行動なので、我々は帰路はどこにも泊まらず、ラクトディ―に戻りました。5日間だったけれど、長くと感じる旅行でした。


フランスにいたよ(3)

「フランスにいるよ」の続きを書こうと思っているうちに、8月11日に帰国してしまいました。それで、過去形にして続きを書こうと思います。相変わらずの遅筆堂ですね。

ラクトディ―で3日過ごした後、7月21日の朝、ラクトディ―を出発して、フィジャック(Figeac)へ向かいました。車2台で9人の旅です。大人だけなら8時間半の行程を一気に行くこともできるのですが、3歳と1歳の幼児がいるので、無理をせずに途中のモンモリヨン(Montmorillon)で一泊する行程を計画しました(もちろん計画したのは小生ではありませんが)。

フィジャックは方角的にはボルドーから東へ250kmほど行った高地にある街です。日本人にはなじみのない街の名前ですが、シャンポリオンが生まれた町です。シャンポリオン、そう、あのロゼッタストーンのヒエログリフを解読した人物です。街にはシャンポリオンの生家を改造した博物館があります。

どうしてフィジャックへ? それはPhilippeのお母さん(イエイエと呼んでいました)が一人で住んでいるからです。Philippeの両親も以前はコッセルに住んでいましたが、引退後にフィジャックの町からちょっと離れた丘の上にある農家を買って、住めるように改築してきたそうです。また、敷地が広大で、これも買い広げていったそうです。お父さんはすでに亡くなっていて、イエイエは90歳、普段は身の回りの世話をする人が訪ねていますが、Philippeの兄弟6人が、ご機嫌伺いとホリデーを兼ねて順番に訪ねているようです。

こうしてみると、退職後に田舎へ住み替える割合がかなり高いようです。聞くところでは、そうした場合の相続税はかなり軽減されるとか。日本の場合はリハウスが、まだまだうまくいっていないようですね。

途中のサービスエリアで休憩、トイレタイムとお昼です。簡単なサンドイッチを食べ、少し外の空気を吸います。サービスエリアといっても日本とは違って、食堂や売店が並んでいるわけではありません。駐車スペースとトイレがあるだけで、あとは自然の中にテーブルとイスが並んでいます。

英気を養って、モンモリオンに向かいます。道の両側には、小麦、トウモロコシ、ヒマワリの畑が広がっています。そうそう、風力発電の風車が並んでいるのをずいぶん見ました。

ちょっと脱線。ラクトディ―でもモンモリオンでも、交差点はラウンドアバウトになっています。ラウンドアバウトの通り方ですが、環状内の車が優先されます。フランスは右側通行ですから、環状内を左側から車が進行してきた場合は、進入する車は一時停止し、左からの車がない場合そのまま入ります。
上の写真では片側二車線になっていますが、小さなものでは一車線です。この方式だと交通信号がなくて済み、信号のある交差点で左右の車の進行がないのに赤信号で停まって待つ、という必要がなくなります。交通信号がないので、電力の節約にもなるのではないでしょうか。ところで、日本の場合、交通信号の電気代はだれが負担しているのでしょう、気になりました(写真はHatenaKeywordのラウンドアバウトより)。ちなみに日本でも2013年6月に道路交通法が改正され、ラウンドアバウトが環状交差点として位置づけられました。ただし見通しが良いこと、中心のロータリーを設置できる余裕があることなど、日本での普及はなかなか難しそうです。

閑話休題。モンモリオンの宿泊場所に到着しました。町からは2kmほど離れた、川のそばの昔はビール工場だった跡地にある、おそらく工場のオーナーの家が改装されてBed & Breakfastのしゃれたホテルになっています。その名も、Chambres d’hôtes La Brasserieです。玄関のドアを開けて中へ入ると、フロアーがタイルのモザイクになっています、おしゃれ。部屋数は全部で4つしかありません。
ドアの内側は朝食を食べるスペースになっています。しゃれた階段を上った2階に宿泊する部屋があります。
早速、部屋でインターネットにつながるかチェックしている人がいます。ネット依存で嫌ですねー。

荷物を解いて、車で街のレストランへ。Office de tourisme近くの駐車場に車を止めて、ヴュー・ボン通りをたどってPont de Monmorillonでガルトンプ川を渡ります。この橋の楕円形の橋脚部に張り出した凹みには、タイプライターや紙の裁断機のようなものが置かれていました。

道なりに少し進んだ後、川の方へ引き返して川に沿ったレストランに入りました。総勢9名を、川側に大きく窓が開いた席に案内してくれました。窓からの景色です。

この景色、食事の後には沈む夕日で教会の尖塔だけが赤く染まっていて、とてもきれいでした。

ぼんやり食事を待っていると、「疲れちゃったの?」とはるかがマノとご機嫌伺い。

前菜、メイン、デザートとたっぷり食べて、ワインも飲んで、おなか一杯になりました。

腹ごなしに食後の散歩。先ほどの道を坂を上がって坂上にある教会Eglise Notre-Dameへ。

道端の案内板に、紙や本のサイズのことが書いてありました。橋の上の展示物といい、この町は印刷とか本に関係があるのでしょうか。調べたけれどわかりませんでした。散歩のあとホテルに戻り、ぐっすりお休みなさいとなりました。

翌日早く起きて付近を散歩。ビール工場の廃墟に、脇を流れる川の水力を利用して何かを持ち上げる(?)ような設備がありました。

昨日は車で通りすぎたホテルへの入口行ってみました。この道の奥にホテルがあるとは思えませんねー。入り口は昔のビール工場の門でしょうか。進入禁止となっています。

パンと紅茶のコンチネンタルブレックファースト。パンはおいしかった。

前庭にテラスがあって、テーブルにタイかビルマの仏塔が置いてあります。ちょっと東洋趣味のあるオーナーなのでしょうか。朝食のヨーグルトを食べています。

朝食が終わり、再びフィジャック目指して南へ走ります。途中でのお昼の休みをはさみ、夕方早くにフィジャックのイエイエのうちに着きました。

長くなったので、ここから先は次の回に書くことにします。


フランスにいるよ(2)

前回の「今、フランスにいます」では、最後のところで疲れてベッドに潜り込んでしまって、肝心の「どうしているの?」には答えていませんね。

答えは、Philippe & Brigitte夫妻の結婚40周年のパーティーに招かれたからでした。このパーティーには当然、娘夫婦が2人の子供を連れてアメリカから参加するので、ファミリーリユニオンにもなります。それで事前にSkypeで十分に打ち合わせて、同じ日にフランスに到着し、同じ日にフランスを離れることにしたのです。

Philippe & Brigitte夫妻は、ここへ本格的に引っ越してくる前は、Courseulles-sur-Mer(地図にはクルル・シュル・メールと表記されていますが、コッセルと言い慣わしているので、以降はそれに従います)に住んでいたのですが、2年前にお二人が退職したのを機に、それまではサマーハウスにしていた家を増築・改装して、本格的に引っ越してきたのです。コッセルは、D-dayの上陸作戦が行われたノルマンディーのオマハ海岸の少し東側の海岸にある小さな町です。次の写真はそのサマーハウスのBefore(2010年撮影)とAfter(今回撮影)です。
左側の1階部分に手前に伸びるように居間を広くとり、その右側の台所部分は新しい厨房器具を入れて一新、居間と台所部分から庇を伸ばしてテラスにしてあります。また、2階部分にも手を入れています。我々は2階の一番左の部屋を借り受けました。

Afterの写真の手前には、以前にはなかった菜園の一部が写っています。ここにはトマト(黒い枠の温室の中)やカボチャなどの野菜やいちごが栽培されていて、隣との境に沿ってリンゴや桃などの果樹を植えられています。
Philipeは毎朝、水やりなどの管理を必ずしていました。

で翌日からは「酒とバラの日々」じゃないけれど、昼食は比較的にしっかりと取るディナー、サラダなどのアペタイザーとフランスパンあるいはクロワッサン(これがどちらもおいしい!!)、もちろんワインあるいはシードルが出ます。そしてメインの肉か魚料理、最後は果物などで締めます。

夕食は少し軽めですが同じようなコースでワインが出て、最後は必ずチーズで締めます。チーズも一種類ではなく何種類もあります。不思議なことに夕食の後はコーヒーあるいは紅茶は出ないことが多いのです。朝は比較的軽くパンと紅茶です。
この日はアペタイザーにテナガエビがどっさり出ました。
チーズは好きなだけ取って回します。

食事の合間に、港にある魚屋さん、近くの産直の有機野菜の販売店あるいはカルフールへ食料の買い出し等。考えると一日の大半を食べることとその準備に費やしている感じです。

カルフールは、日本にあるスーパーと同じです。ただブルターニュ地方の特産品であるビスケットが売られていました。

7月20日に、海岸近くの広場で小さな盆踊り(?)のようなものがありました。輪になって踊るのです、ただし手をつないで。
最後の写真の女性が着用しているのは、この地方の民族衣装。高い帽子(コアフの一種)が特徴です。この地方の道路標識には、フランス語とブルトン語で地名が書かれています。ともかくブルターニュ地方は、フランスの他の地方とは異なるようです。


今、フランスにいます

「桜の花」のつぶやきから、ずいぶんと時間が経ってしまいました。この間にもいろいろなことがあり、書こうと思っていたのですが、時間がなく書けていません。藤原彩人さん展覧会鑑賞記とか、益子に行ったことなどは、あとで書くことにして、今、なぜ、フランスにいるかを書いてしまうことにします。

今、この時点で、フランスのロクチュディ(Loctudy、でも会話の中ではロクトディと聞こえるので、以後この表記にします)にいます。ロクトディと言ってみほとんどの人が知らない地名だと思います。フランス北西部のブルターニュ地方にある小さな港町です。
パリのシャルルドゴール空港から、列車で西へ5時間で着くカンペール(Quimpere)からさらに車で30分ほど、南へ走ったところに町はあります(上の図の左端にある黒丸)。

7月17日の海の日の朝7時過ぎに家を出て、稲毛駅から総武線快速成田空港駅行きで成田空港に行き、11時のエールフランスで日本を発ち、12時間半弱でシャルルドゴール空港に着陸。予定より若干、早く着陸したのに予定したゲートが出発便の遅れで塞がっていて寄せられず、1時間近くも待たされ乗客はイライラ。カンペール行きの最終列車までの乗り継ぎ時間が2時間ほどなので、本当にイライラしました。幸い入国はいとも簡単にでき、荷物もすぐに拾えたので、急いで空港内の列車の駅に。でもカンペール行き最終列車の発車トラックはまだ表示されていませんでした。

しばし休息して待つこと1時間。番線が表示されたのでホームへ。列車が入ってきました。
列車に乗り込み日本で購入しておいたe-ticketで指定された座席へ、列車は空いていました。
でもって5時間弱の予定が途中何かのトラブルがあったらしく、夜中の12時半過ぎにカンペール着。迎えに来てくれていたPhilippe and Brigitte Salze夫妻に会い、車で彼らの家へ。着いたのは1時過ぎ、日本時間では18日の午前8時。ドアツードアで25時間の旅でした。

Salze夫妻の長男であるGuillaumeとわれらの二女が結婚しているので、今回、ロクトディの彼らの家に来たわけです。娘夫婦は2人の孫を連れて、我々と同じ日の早い時間に無事に着いていました。遅く着いた我々は、軽く食事をしてベッドに潜り込みました。長い一日でした。

 


桜の花、きれいですね

iPhoneから自分のサイトへ投稿する練習です。

おっとり刀で、試しています。

それはさておき、この時期、日本人の心はざわつきますね。咲きそろったと思ったらハラハラと散り始める、在原業平の「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」、その通りだと思います。


塑像の実習後半(6)

2月20日、塑像の実習の最終日になりました。これで今年度はおしまい、寂しいです。最終日ですから、もうモデルさんは入らずに、採点と講評、それと作品をもとの粘土に戻す作業だけです。

前半の6回目の回にも書いたように、採点をしている間、石膏取りの段取りをビデオに収めて編集した動画を使って、粘土の作品から石膏像を作成する過程を、小生が説明しました。

採点が終わって、みんなが元のアトリエに戻り、二手に分かれて講評会です。後半は角田先生のもとで制作したので、小生はそちらに陣取って順番を待ちます。まずは先生の全体の講評から始まりました。

続いて、学生さん一人一人が、思い思いの感想や苦労話を披露します。10人ほどが次々と説明をし、それぞれ講評があったのですが、一人だけの一場面にして省略し、自分の番の写真だけを載せることにします(学生さんに頼んで撮影してもらいました)。

でもって、以下の何枚かの写真がその場面です。どんな説明をしたかもう覚えていないのですが、頑張った、考えながら制作した、でもどうも自分には左右のゆがみがあるらしい、といったことを述べたと記憶しています。

角田先生に何と講評を受けたのか、これも正確には憶えていないのですが、頑張ったのは認めてもらえました。「だんだん良くなる道普請」ではないけれど、進歩の跡は認められると言っていただきました。

ただ、こうして下から見上げると、顎の線が少し違う、もう少し狭まっているはずという指摘がありました。確かにそうかもしれません。

こうして講評会が終わりました。みんなそろって自分の作品をもとの粘土に戻す作業です。

何とはなしに、みんな、破壊を喜んでいる雰囲気があります。積み木を一生懸命、積み上げて、その後で一気に壊す快感と通じるのでしょうか。

小生の作品も真っ二つにして、粘土を小さな塊にして粘土槽に戻しました。ちょっと悲しいです。

壊す前に、指摘された顎の線を若干、尖らせるように修正して写真を撮りました。以下の二枚が前回の最後(左)と修正したもの(右)です。照明の具合が異なるので比較するのは難しいのですが、少し違った雰囲気になった気がします。気のせいかな?

藤原彩人先生、角田優先生、ありがとうございました。次年度もよろしくお願いします。


塑像の実習後半(5)

このところ「つぶやき」ばかりで、「生物学」や「鳥に学ぶを」はすっかりご無沙汰していますが、ご勘弁ください。今出版のための最後の追い込みに追われています。それが終わったら、また書き込むよう努力します。

ということで気軽に書ける「つぶやき」です。塑像の実習がもう5回目になり、今日でモデルさんが入るのはおしまいです。実習開始時に、「完成させなくてもよいから、しっかりと観察するように」と角田先生からの言葉がありました。学生さんたちは何か気が抜けている気がしますが、それにはめげず、こちらは一生懸命、観察して手を入れました。

前回の最後の作品の写真を家でじっくり見ると、いくつかの点が気になりました。前回の最後に書いたように、左右にゆがみがあり、女性の持つ柔らかさがなくて男っぽい感じがすることです。また、左右の眼が中心に寄りすぎている気もします。

そこでこの点に気を付けながら直し始めました。ちまちまやっていると、角田先生が近づいてきたので、どうも女性らしさに欠け男に見えてしまうというと、目の位置が中央に寄りすぎる、目の周りの凹凸が強すぎる、と粘土をもってきて、ぐいぐいと右側の眼のあたりを直してくれました。すると確かに柔らかい感じになりました。うーん、うまいなー。

それでこれを手本に、左側の眼を全面的に直しました。そうすると左右の眼の感じが同じにならず、てこずりました。左右のゆがみも少し直しました。あとは細かい顔の凹凸とか、髪の量とかを直し、完成度を上げる努力をしました。でもって今日の最後にできたものがこれです。

いろいろな角度から撮影したものを、ギャラリーとして下に載せておきます。クリックすると拡大されます。

前回のものよりは女性らしくなったけれど、まだ足りない気がします。でも頑張ったから、良しとするか、と一人で慰めています。来週は最後の講評です。

 


塑像の実習後半(4)

2月6日に、塑像の実習後半の4回目がありました。モデルさんが入って3回目、今日と来週の月曜日で実際の制作は終わりです。藤原先生から、今日はよく観察してある程度のところまで作りこむようにと檄が飛びます。

とりあえず先週のマネキンのような頭部に頭髪をカツラのようにつけてみました。
まだ頭髪量が足らない感じです。学生さんたちもみんな、一生懸命制作に励んでいます。

藤原彩人先生と角田優先生は学生さんの間を回り、助言をしていきます。

ん、無帽・短髪の藤原先生、珍しいなー。

小生も途中で角田先生に、鎖骨の位置が高すぎるので、のけぞっているように見えると助言を受け、直しました。正面からだと直したのがわかりにくいですが。
頭髪量を増やし、下瞼を加え、ゆがみをなくしたつもりの、今日の最後ものがこれです。

女性の持つ柔らかさがなくなってしまいましたね。また目元、口元の(それ以外にもある気がしますが)ゆがみが気になります。右に傾いていますよね。作っているときは、気が付かないのですが、写真を撮ってみると気が付きます。

来週はそのあたりを気にして、最後の仕上げに注力したいと思います。