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塑像の実習後半(4)

2月6日に、塑像の実習後半の4回目がありました。モデルさんが入って3回目、今日と来週の月曜日で実際の制作は終わりです。藤原先生から、今日はよく観察してある程度のところまで作りこむようにと檄が飛びます。

とりあえず先週のマネキンのような頭部に頭髪をカツラのようにつけてみました。
まだ頭髪量が足らない感じです。学生さんたちもみんな、一生懸命制作に励んでいます。

藤原彩人先生と角田優先生は学生さんの間を回り、助言をしていきます。

ん、無帽・短髪の藤原先生、珍しいなー。

小生も途中で角田先生に、鎖骨の位置が高すぎるので、のけぞっているように見えると助言を受け、直しました。正面からだと直したのがわかりにくいですが。
頭髪量を増やし、下瞼を加え、ゆがみをなくしたつもりの、今日の最後ものがこれです。

女性の持つ柔らかさがなくなってしまいましたね。また目元、口元の(それ以外にもある気がしますが)ゆがみが気になります。右に傾いていますよね。作っているときは、気が付かないのですが、写真を撮ってみると気が付きます。

来週はそのあたりを気にして、最後の仕上げに注力したいと思います。


塑像の実習後半(2、3)

第2回

1月23日の第2回は、前半がスケッチ。今度はモデルさんが20分間ポーズするので、じっくり描けます。正面、横顔、後ろ顔、斜め下から見上げたもの、の最低4つを描くように指示がありました。一生懸命描いたので、写真はありません。

20分間3回のポーズが終わり、間の長めの休み時間(モデルさんの)に粘土練り。角田先生がお手本を見せてくれます。

皆で粘土練り。昔の川べりの洗濯場のような光景ですね。あるいは角田代官にひれ伏す領民たち、、。冗談です。

小生も粘土を練って、荒付け。最後にできたものはこんな感じでした。

第3回

1月30日が第3回。前回の荒付けではまだ量が足りないので、もう少し大きくして、全体のバランスを考えながら、作り上げていきました。途中で角田先生から顔の方はまあいいけれど、顎関節から後頭部のかけてのボリュームはよくないというサジェスチョンをいただきました。

今回も制作に打ち込んだので途中の写真はなし。サジェスチョンを受け止めて最後にできたものがこれです。

ちょっと左右のバランスが乱れているけれど、まあ、いいかな。なんかマネキンの頭を見ているようです。これにカツラを被せればいいんですね。バランスを正して、どのように頭髪を加えるか、来週が楽しみです。


塑像の実習後半、もう始まっています

下に投稿したアメリカへの旅行の顛末を書くのに時間を取られ、塑像の実習のことを書くのが遅くなり、この間にもう実習は3回もありました。井上ひさしじゃないけれど、遅筆堂だなー。で、気を取り直して、3回分を続けて書きます。第1回は1月16日(月)で、アメリカから帰国の翌日でした。

第1回
最初は講義室に集まり、この実習についてのガイダンス。講師の藤原彩人先生と角田優先生が自己紹介をし、最初に振られて、この実習を文科省のGPで始めた経緯などを知っている小生が、実習の意義と面白さを強調しました。

今年で実習に参加させてもらって7年目に入りましたが、創造する楽しさと、思い込みで対象を見ていることに気づかされる点など、何度やっても面白さは尽きません。学生さんたちにもそのことをわかってもらえればなーと思います。

その後、藤原先生がスライドを使って、この実習の狙いと実際の流れを説明し、別室(アトリエ?)に移って実習本番の開始です。はじめは学生さんがモデルになって5分間ポーズでスケッチ。途中でスケッチについて藤原先生かrあ説明がありました。いつ見てもササッと描いて様になっています(当たり前か)。

5分というのはいかにも短く、不完全燃焼でスケッチタイムは終了。続いて心棒作りです。これが棕櫚縄と小割。

これでどうやって心棒を作るか、説明があります。棕櫚縄を心棒に絡めるとき、要所要所で結構力を入れる必要があります。

お互いに助け合い、それぞれの心棒作りは終わりました。いよいよ来週からはモデルさんが入ります。


アラバマ、そしてニューオリンズ

昨年末の12月30日から1月15日まで、アラバマ州のAuburnに滞在し、1月4日から8日までニューオリンズに行ってきました。なんで年末年始に?と思うでしょうね。

SICB(The Society for Integrative and Comparative Biology)の年会は、毎年1月の初めに開催されるのです。今年はニューオリンズでの開催です。でもって下の娘のはるかがこの学会に参加するので、子守で行くことになりました。はるかの下の子(Manonと言います)は7か月でまだ母乳だけなので、母が参加すると乳飲み子も参加、でもずっと乳飲み子を抱えて年会に参加というわけにはいかないので子守が必要、というわけなのです。

はるか一家は12月7日に日本に来て、友達と会ったり奈良に行ったりして、12月30日にアメリカへ帰国、で同じ便でアラバマへ行ったのです。アメリカに帰ってすぐに上の子(Lilwennと言います)が風邪をひき(というか日本から持ち帰った)、友達の家での年越しパーティーもキャンセルして、散々な年末年始でした。

Auburnの娘の家に滞在してといっても、年末からずっと本の校正作業に追われていました。ネットにさえつなぐことができれば、今ではどこにいても我が家の書斎にいるのと同じように仕事ができるので、便利になりましたね。暮れから三が日はちょっとした子守をしたりして、あとは校正作業をしていました。

1月4日の午前にAuburnを出発して国道85を西南西に走り、モントゴメリーで65に入って南西に走り、モビールの近くで今度は10を海沿いに(といっても海岸からはだいぶ離れていますが)西へ、あとはひたすらニューオリンズに向かいます。食事や休憩を含めて6時間ほどのドライブでした。下の写真は途中で昼食をとったWaffle Houseでのものです。

途中、どのあたりかは忘れてしまいましたが、車の中から撮影した景色です。Manonはおなかがすいた時だけミルクをほしがる以外は、車の中ではとても静かで、手がかからない子です。

ポンチャートレーン湖に近づくと周りは湿地になり、やがて湖の東端にかかる橋を渡ってしばらく走ると、遠くにニューオリンズの市街地が見えてきました。もう夕方です。

市街地へ入り目指すヒルトンホテルに車を寄せて、荷物を降ろしてチェックイン。荷物を解いて、すぐにレジストレーションのために会場へ向かいました。

今回の会場はホテル内にある施設ではなく、歩いて5分ほどのコンベンションセンターで行われるとのこと、みんなぶつぶつ文句を言っていました。確か前にここのマリオットホテルでこの会があったときは、ホテルに会場があり移動もなく、便利でしたが、今回は予約が取れなかったのでしょうね。

ニューオリンズは思ったよりも寒く、ストローラーを押しながら会場へ。受付で無事にレジストレーションが終了。小生はCompanion Regsitrationで、Coffee Break はOKだけれど、学会会場には入れないというものです。首から掛ける名札をもらってWelcom Receptionの会場へ。これまでいくつもの学会に参加したけれど、Companion で参加するのは初めてだなー。
会場は若い人でいっぱいで、何人かの懐かしい人と会いました。

Welcome Receptionは10時まであるようですが、早めに会場を去り、はるかとManonと3人でConvention Center近くのレストランで遅い夕食を食べました。ルイジアナに来たのだからケイジャン料理をと思ってガンボを頼みましたが、予想に反していやに黒いスープ、ガンボといってもいろいろと種類があるそうです。
食事の後、ホテルに戻り長い一日が終わりました。はるかへ運転ご苦労様でした。

翌日から本格的な学会活動。小生はManonの子守です。ポスターセッションの時は、こんな感じでPoster会場内をうろうろ。
Poster会場に隣接してExhibition boothがあり、Oxford University Pressなどが出店しているので、並んでいる本を見て回りました。

1月5日と6日はこんな感じでConventin Centerの2階へ上がったところにあるロビーでストローラーにManonを乗せてうろうろ。時々知った顔に会って昔話、と過ごしました。

1月7日の午前中にはるかがRobert de Bruijnと座長をするセッションStress1があるので、ここはCompanion Registrationのお約束を破って会場へ。一番後ろに陣取ってManonと一緒にそっと聴講しました。

全部で7つ講演があり、一番最後にHaruka Wada and John Fingerの演題がありました。下の写真の上段右は、セッション冒頭のあいさつ、下の段の2枚が講演の様子(演者の背が小さいので、聴衆に埋まっていますが)、右下は終わった後のDiscussionの様子です。

ニューオリンズと言えば、夜のフレンチクオーターとプリザベーションホールでのJazzの演奏などが目玉なのですが、結局どれも行く時間がありませんでした。日曜日、はるかは朝一の講演を聞いただけで切り上げ、午前中せめてCafe du MondeでBeignet(四角いドーナッツ)を食べようと、散策しながらお店へ。お店の前にはもう長い行列が、、、。
やっと中に入って椅子に座り注文。ここは現金主義なのです。
コーヒーとベニエを注文、両方で6ドルでした。ベニエにかかった粉砂糖の量が半端ではありません。
でもとてもおいしいです。粉砂糖を振りまきながら平らげます。厨房の様子はこんな感じです。もちろん中は見えませんが。
散策しながらホテルへ戻り、荷物を車に詰んで帰路へ。でもどうしてもはるかが行きたいというCafeで昼食をとることに、、。とここも混んでいて1時間近く待ちました。有名なんですね。こんな感じのお店です。
トイレにこんな額がかかっていました。お店は狭かったけれど、味は保証付きなのでしょう。
二人で、おいしくいただきました。三人目も秘かに味わっています。
長かったニューオリンズ滞在を終えて、2時過ぎに再び車で同じ道をAuburnへ。途中ミルクやおしめの休みがあるので、やっぱり6時間かかり、家に戻ったのは午後8時過ぎでした。

翌日、1月9日からは二人の子供を預けることが出来るようになったので、朝は旦那のGuillaumeは早めに大学へ。少し遅れてはるかと小生が2人の子供を預けて大学へ、帰りはGuillaumeが2人を引き取って家へ、我々は6時ころ大学を出て家へ、というリズムになりました。

小生は昼間ははるかのオフィスで再び校正作業を行いました。疲れたら大学の構内を散策して、大学の周りのお店をWindow shopping。といっても、大学の周りにもたいしたお店はありません。ただこの大学のシンボル的な建物のそばを通ると、ついパチリとしたくなります。

1月8日から12日までの間、3回は家からサンドイッチを持っていってオフィスで軽く済ませ(はるかはミーテイングや委員会のために忙しく出入りをしています)、2回はすぐ近くにある地中海料理のTajikiというところで食べました。
おいしいです。

帰国のために朝早くアトランタへ向かうという日の前日のお昼は、子守のお礼という意味も込めてはるかとGuillaumeが少ししゃれたDepotというレストランでご馳走してくれました。鉄道線路沿いにある昔の駅舎だったところを改造して、レストランにしたのでこの名前なのだそうです。
上のがランチメニュー、StartersにSmoked Salmon DipとGrilled Oyster Rockefellerを注文。Mainは魚にしました。

途中で、建物のすぐわきを貨物列車が汽笛を鳴らして通り過ぎました。びっくりしたな、もー状態でした。笑う二人。確かにDepotなんですね。

こうしてAuburnとニューオリンズの子守旅が終わり、1月14日の早朝、4時半起きではるかに近くのシャトルバスの停留所まで送ってもらい、2時間かけてアトランタ国際空港へ、14時間で成田に戻ってきました。日本時間は15日の夕刻です。

そうそう、この写真を忘れていました。2人を預けに行く前の朝のひと時です。
ちょっと長くなりすぎましたね。3つくらいに分けるべきでした。おしまいです。


塑像の実習(6)

12月12日、塑像の実習も6回めで前半の最後の回になりました。今日はもうモデルさんは入らず、講評と後片付けです。

その前に学生さんの作品の採点があるので、まずはずらりと名簿順に壁際に並べます。下の3枚の写真は、藤原彩人先生担当分の半分で、小生の作品は3枚目の右から2番目です(右端は隣のグループのもの)。

採点している間、2010年6月に東京藝大で石膏取りをした記録動画があるので、それを観ながら塑像をどのようにして石膏の像に置き換えるのかの説明を小生がしました。「医療と造形」の企画がGPに採用され、そのお金でいろいろな資材を購入するとともに、この時、記録もちゃんと取っておいたのです。

当時は舘山拓人先生が講師で、小生が制作した2つの男性首像を藝大にタクシーで運んで舘山先生の研究室に持ち込み、石膏取りの作業を3日間かけて手取り足取り教えてもらいながら行いました。とても懐かしい記憶です。

でもって20分ほどかけて、石膏取りの過程のダイジェスト版を移しながら説明しました。まず切金を入れ、石膏液をまぶし、濃いめの石膏を塗りこんで固めます。固まってから切金のところで雌型を前後に分離、粘土を掻き出してよく洗い、前後を合わせて針金でしっかり結んで雌型の完成。後は省略しますが、次に石膏液を何度も流し込んで雄型を作ります。こうして2体の石膏像ができました。舘山先生が木の台座をつけてくれました。

そのうちの1体は塑像の実習の最初の説明の時に石膏取りの例として使われ、残りの1体は小生がもらい受けて玄関に飾ってあります。東日本大震災の時は倒れましたが、大きな損傷はありませんでした(下の写真は2016年12月19日撮影)。

採点が終わったので講評です。最初に藤原彩人、角田優両先生から全体の講評がありました。

どんな内容だったか忘れてしまいましたが、両先生とも今回は全体に対象を見据える姿勢が少し甘かったといったことだったと記憶しています。その後、二つに分かれて一人一人が自分の作品にどのように取り組んだか、どんなところに力を入れたかを説明し、それに対して先生からいろいろな意見やアドバイスをもらいます。小生は前半の藤原先生の方に加わったので、そちらの写真になりますが、一枚だけ、隣の後半クラスの講評風景、こんな感じです。

前半組の藤原先生の講評は、身振り手振りで笑いを取りながら、びしっと的確に甘いところを付いてきます。

下の2枚目の写真、耳を指しながら、これじゃ聞こえないでしょうと一言。確かに横を向きすぎて集音できない感じです。

さていよいよ一番最後に小生の番です。今日の講評のために作品を並べるとき、目尻を少し修正して切れ長の程度を先週より少なくしました。でもって説明です。印象ではなく骨格へ立ち返る、といったことを縷々、説明しています。

特に口元は気を付けて作りました、、などなど。

藤原先生からは、確かに口元などはよくなった、でも額から後頭部まではまだ骨格に対する意識が薄いと指摘されました。次回は頑張りまーす。

最後に元の粘土に戻すのですが、その前に作品の写真をたくさん撮りました。その一部です。

鉄ベラで一刀両断(とはいきませんでしたが)し、拳大の粘土の塊にして、粘土槽に戻しました。最後に道具を全部きれいにして部屋の掃除をし、今年度前半の「医療と造形」の塑像の実習が終わりました。藤原彩人先生、角田優先生、どうもありがとうございました。


塑像の実習(5)

12月5日に塑像の実習第5回がありました。今回でモデルさんが入る最後の日です。6回のセッションの中で、いかに完成度を上げるかが勝負です。

しかしながら細部の完成度よりも、今回は見えているように作るのではなく、骨格を意識してそこに粘土を盛っていくことを考えて進めました。というのは目で見て作ろうとすると、どうしても脳が解釈した図を作ってしまう気がしたからです。ですから前回の最初と同じように、顔の両側を削り再構築をしました。

ああでもない、こうでもないと、同じような行為を繰り返していたところ、最後のセッションの時に角田 優先生が口の両脇、目尻、鼻の両脇を指で押さえてごらんなさい、どのくらい指が食い込むか、それをちゃんと反映するようにこのくらいは押し込まないとと、右の口脇をぐっと押し込んでくれました。その途端、印影というか立体感がそこに生まれました。まだまだ骨格を意識して粘土を盛るという意気込みほどには実践がされていなかったようです。

指摘に従い、目尻と目頭、鼻の脇、それと口元を大急ぎで修正しました。

さらに最後になって、藤原彩人先生から髪の毛がのっぺりと頭に載っているけれど、実際の骨格はこうなっていて、そこに髪の毛が載っているはずと、右前頭部の頭髪について指摘を受けました。うーん、確かにそこはちゃんと考えていませんでした。

ということで、滑り込みで仕上がったものを写真にしたのが下の3枚です。
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まだゆがみがあったり、耳などの細部は未完成ですが、藤原先生からは口元などの印影が出てきているなど、最初の目標はある程度、達成できたのではと言われました。ただし、さらなる課題は公表の時にねと不気味な笑みを残して、、。怖ー。

ちなみにアイキャッチ画像と今回のものは、同じモデルを作っています。

ずっと先には、対象を見つつ作っても、脳の解釈を入れずに解剖学的に正しく、かつモデルさんの質感というか雰囲気があるように制作できたらと、切に思いました。


塑像の実習(4)

11月28日に表記の実習4回目がありました。荒付から数えてもう3回目です。今日もずっと立ったまま、ひたすら造形に励みました。

前回の最後に指摘されたことを胸に、最初に思い切って両側面を鉄へらで削り、そこから左右のゆがみをなくすように再構築をしました。途中で首筋から肩にかけての線が前に来すぎていると指摘されて、それも直しました。

でもって今日の最後にできたものが次のものです。写真に撮って後で見てみると、まだ左右にゆがみがある気がします。どうも左右のバランス感覚が悪いようです。脳のつくりがそうなっているのでしょうか。来週はモデルさんが入る最後のセッションになります。もうひと踏ん張りです。
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湯島門を出ると目の前の銀杏並木のきれいに黄色くなっています。それに惹かれてキャンパスわきにある近代教育発祥の地の案内板を右に見て階段を下りて左折し、昌平坂を秋葉原方面に下り、正門から入って湯島聖堂を久しぶりに訪れました。

孔子像を見上げてさらに奥へ進み、大成殿の前の広場まで行きました。
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ここは昌平坂学問所が置かれた場所です。江戸時代の学問所の敷地はもっと広く今の東京医科歯科大学の敷地まで含むものでした。
yusimaseido上の図はここからお借りしました。このサイトに湯島聖堂のことが詳しく載っています(僭越ながらゆがみをなくす処理をしています)。右から5分の2ほどのところに、聖橋へ続く道路が通って、昔の敷地は分断されています。左側の広い敷地に今の東京医科歯科大学が建っています。その前は東京師範学校と東京女子師範学校が建っていました。

あらためて学問に対する真摯な気持ちを胸に刻み、西門から出ると銀杏並木が目の前です。でもってパチリ。
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丸善によって家に帰ったら、なぜかがっくりと疲れが出ました。


新宿高校ホームカミングデイ

東京都立新宿高等学校のホームカミングデイが、11月19日にありました。今回が「初」のHCDだというので、卒業生(新15回生)としては参加しなくちゃと思って行ってきました。卒業してもう50年を過ぎているんですね。ちなみに新宿高校は府立六中の時から数えて、今年で創立95年になります。百周年記念事業を立ち上げて1億円を目標に募金活動をしています(小生はまだ応募していませんが)。

当日のリーフレットの表紙です。
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現在の校舎も甲州街道沿いにありますが、昔に通っていた2階建ての校舎とは全く違って7階建ての高いビルになっています。
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当日のプログラムは以下の通りでした。
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小生、午前中に別口の用事があったので、会場に着いたのは1時45分頃でした。最後のキャンパスツアーに間に合って、スタッフの方の案内で校内を7階から順に回りました。7階の窓から屋上のプールをのぞき、6階では美術部、写真部などの部室をのぞき、化学実験室に入って銀鏡反応の準備をしている先生とお話しし、生物実験室を窓越しにのぞき、4階で体育館をのぞきました。体育館は3階から7階まで吹き抜けで天井がとても高くなっています。ちょうどバスケットボール部が練習をしているところでした。どの階も廊下が広くて明るく、昔の校舎の廊下とは大違いです。

2階にある資料室(朝暘同窓会室)をのぞき、廊下のガラスケースに展示してある資料(昔の校章のバッジだとか)をのぞいて1階に降りてツアーは終わり。

その後、3回の視聴覚室で開会のあいさつがあり、続いて2時限目田中俊郎会長の講演がありました。タイトルは上のスケジュールにある通りです。一番前に座って聴きました。EUの歴史を欧州石炭共同体から説き起こし、その後の展開と話が続くのですが、不覚にも最後の方で一瞬、意識を失い、どうして離脱しようとしているのか聞き逃しました。

それから、業間体操。小倉さんが体操着に着かえ、何人かの若い同窓生と対面し、音楽に合わせてキチンと演じました。小倉さんによる業間体操の動画がYouTubeに載せてあります(と紹介されたので探したものが以下のものです)。
https://www.youtube.com/watch?v=T0VL5n2LLuI

いやー、当時は「業間踊り」などと称してあまりまじめにやらなかった記憶がありますが、ちゃんと全部やるとかなりの運動量で息が上がる感じです。

続いて4時限目の音楽の時間で、合唱クラブの2曲の披露の後、全員起立して、校歌斉唱、続いて六中健児の歌を斉唱。昔を思い出してなんとなくウルっとしてしまいました。音楽のちからですね。

こうして「初」のHCDは成功裏に終わりました。出席者がもう少し多いとよかったですね。連絡が不十分だったのでしょうか。


「頭像の仕事」本郷 寛 彫刻展

11月17日の午後のひと時、銀座8丁目のギャラリー「せいほう」で開催されている標記の彫刻展へ行ってきました。本郷先生には医科歯科大学のときに、授業のことや連携のことで、いろいろとお世話になったのです。でもそんなことはさておき、塑像の実習で頭像を作っている身にとって、その道の先達の作品を鑑賞することは、とても大事なことなのです(多分)。

というわけでギャラリーに入ると10点の作品が並んでいました。1973年の学生時代に制作したものから、2016年の最近作まで。
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窓際にあったのが「エミ」と名前が付けられた1973年の作品で、素材はFRPとありました。繊維強化プラスチックの略だそうです。彩色してあるのだと思われます。
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入り口から入ってすぐにある作品は1976年の作品で「なつ」と名前がつけられていて、こちらは乾漆です。
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隣にあるのは「杜」という名の2016年の作品で、こちらも乾漆です。
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「ゆう」とあるのは石膏像でした(1982年制作)。
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ブロンズもありました。これは「標」というタイトルの男性の頭像です(2011年)。
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石膏を除いて、FRPでも乾漆でもブロンズでも細かく彩色してあるようで、見た目の質感が同じになるようにしてある印象です。それによってとても落ち着いた風合いを生むとともに、対象の持つ雰囲気を伝えている気がしました。

そんなことを感じつつ、形をどう捉えているかを、後ろから横から下からと眺めました。次回の塑像実習のヒントを少しは得られたかしら、、。

一通り見終わった後、ギャラリー「せいほう」の田中さんとお話をして、作品にまつわるいろいろなお話を聞きました。ありがとうございました。


塑像の実習(3)

11月14日に塑像実習3回目がありました。前回の荒付を受けて、今回からは本格的な制作に入ります。

というわけで、一生懸命粘土を練り、前回の最後で気になったバランスのゆがみをなくし、さらに粘土を加えたり削ったりして、あっという間に時間が経ってしまい、途中は写真を撮る暇がありませんでした。

最後に藤原先生から、顎から下は正面を向いているがその上の部分は若干左を向いている、意図したのかと言われました。もちろんそんなつもりはありません。顎から下は前回の荒付から大幅に削って粘土を足し、その上はゆがみを直そうと加えていったもので、左右のバランスは是正されていなかったようです。塑像板の縁のようなものを基準線にして、常にそこを見ながら制作を進めるようにするとよいと言われました。

さらに、頭頂部から下顎へかけての先細りが出ていないと指摘され、この辺りからもう少し細くなっているはずと、へらで印をつけられました。どうもモデルさんのふっくらした頬に引っ張られて粘土を盛りすぎているようです。平面にとらわれすぎている、あるいは脳でイメージが作られてそれに従っているのでしょう。この辺りは課題ですね、と言われました。確かにこのことは舘山先生からも何度か指摘された記憶があります。
20161114-1課題を克服するために、もっと、下から、上から、左右から観察して制作を進めなければならないと深く心に誓いました(大げさな)。

終了後、講師控室でいつものように芸術論議。「ハレとケ」の話から、「ハレ」あるいは共同体が作り出す「ハレ」に美術作家がどうかかわるかといった話まで。この辺り、もう少し掘り下げてみる必要があると思いました。

その後、藤原先生と東京造形大学創立50周年記念イベントである「ZOKEI NEXT 50」のC会場である秋葉原のアーツ千代田3331へ彫刻を見に行きました。同大学を卒業して活躍している作家の作品が並べられています。以下その時の作品を何点か。
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