平成最後の夏に
今年は平成30年、来年の5月には年号が変わるので、この夏が、平成という年号の最後の夏になります。その平成最後の夏はやけに暑く、30度を平気で越える日が何日もありました。これからもまだあるでしょう。今日、8月21日には台風19号が奄美黄島を通過していて、次の台風20号も続いて西日本を襲いそうです。
子どもの頃は、台風というと9月に入ってから日本を襲来すると思っていたのに、今年は8月初めから台風の発生が続き、しかも進路がおかしく、日本に近づく数が増えているような気がします。
上は昭和32年から34年の8月、下は平成28年から30年の8月に発生した台風の進路図です(このサイトを利用して作図しました)。下の図の緑はクラス3、黄色はクラス4、赤はクラス5の台風を示しています。上の図の頃はこのような表記はありませんでした。「気がする」というのはあながち誤りではなさそうです。
一方、セミの声も子どもの頃とは違う気がします。子どもの頃は世田谷区に住み、その後、相模大野、結婚してからは習志野市、千葉市と移動しましたが、まあ、東京とその周辺の平地に住んでいたといえるでしょう。思い返してみると、子供の頃は夏の風物詩であるセミの声は、ニイニイゼミとアブラゼミがほとんどだったような気がします。夏の終わりごろになると、夕方からヒグラシの「カナ、カナ、、」とツクツクボウシの「オーシイツクツク、、」が加わるといった感じです。ミンミンゼミやクマゼミの鳴き声は、ほとんど聞かなかった気がします。
ところがこのところ、ニイニイゼミの声はほとんど聞かれず、アブラゼミも声が小さくなり、ミンミンゼミとクマゼミの声が目立つのです。筆者はちゃんと記録を取って、経年の比較をしているわけではないので断言はできませんが、こんな論文もありました。理科年表にも似たような記事があります。
(セミの図は小学館ニッポニカ 関口俊雄さんより)
チョウやある種の甲虫も、西の方から東進して、分布を広げていると聞きます。軽々しく「地球温暖化」というつもりはありませんが、暑くなったなーというのが実感です。
事件の区切りにあたり
おっと、ここでは台風やセミの話をしようと思ったわけではないのでした。平成の最後の夏の8月15日に、73回目の全国戦没者追悼式が挙行され、天皇陛下と皇后さまにとっては、最後の出席となりました。天皇陛下はお言葉の中で、「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」と述べています(下の写真は時事通信社より)。
しかしながら、本当に「戦後の長きにわたる平和な歳月」が、滞りなく流れたかしらと、あまのじゃくな思いがよぎります。同じく平成の終わりに合わせるように、この7月にオウム真理教が起こした事件の首謀者と実行犯の13人の死刑が、2回に分けて執行されました。あの事件は、個人あるいは少数の人が起こした殺人事件ではなく、宗教集団の名を借りた団体が起こした殺人事件、テロ事件であり、かなり危ないところまで行った事件ではなかったかと思います。いろいろな識者がいろいろな論点から、この事件を分析していますが、筆者は大学教育の点から考えてみたいと思います。このサイトの「科学と生物学について考える」にも適うものですから。
首謀者すなわち教祖以外の12人の学歴は、東京大学大学院理学研究科物理学中退、早稲田大学大学院理工学研究科物理学、京都府立医科大学医学部、筑波大学大学院化学研究科中退、京都大学大学院医学研究科中退、東海大学工学部応用物理学科、大阪府立大学大学院農学研究科、愛知学院大学法学部、工学院大学二部電気工学科、日本文化大学法学部中退、山口県立小野田工業高等学校、早稲田大学法学部中退、であり、いずれも高学歴であることが分かります。そのような人たちが、どうして教祖というよりも詐欺師に近い首謀者の言葉や行動を信じて、帰依していったのでしょうか。正直言って筆者には全くわかりません。
たとえば、首謀者の空中浮揚。写真を見ると,飛び上がっている瞬間を撮影したもののようですが、これを超能力による空中浮揚と言って、道場に写真を飾っていたという話です。浮揚というからには、しばらくの間、悠揚迫らぬ顔で空中にとどまっている必要があるはずですが、写真では力を込めて飛びあがった瞬間の顔に見えます。浮揚している現場を見た人がいたのでしょうか。物理学を学んでいる人が、超能力と謳う空中浮揚を信じたなんて、どうしても信じられません。
話は少し脱線しますが、こんな写真を、当時はオカルト系の雑誌が掲載していると知って、驚きを隠せませんでした。オカルト系の雑誌が、ファンタジーとしてUFOだとかムー大陸を記事にするのは、あり得ることかもしれませんが(筆者は拒否しますが)、実在する団体の代表者である詐欺師の片棒を担ぐような写真を、どんなキャプションを付けたか知りませんが、掲載するのはほとんど犯罪です。この雑誌の出版社が学研だと知って、のけぞりました。
1985年10月号(このサイトからお借りしています)
この号には首謀者の投稿記事も載っているのですが、その後、この雑誌に定期的に執筆するようになり、さらに宣伝媒体として独自に本を出版していきます。現在でも、幸福の何とかという団体が同じような手法を使っていますよね。これよりずっと後の話になりますが、マスコミのオウム真理教の取り扱い方は、視聴率さえ取れればいいという姿勢が見え見えの、かなり問題ある取り上げ方だったと思います。
閑話休題。オウム真理教事件は、上に挙げたような高学歴者が、サリンの合成、LSDやVXガスの製造、武器の調達・製造、細菌戦の構想、などをしなければ、ここまで大きな事件にはならなかっただろうと思います。また、省庁組織を持った疑似国家を構想して縦割り組織を作らなければ、製造工場を建設して稼働させることもなかったのではないかと思います。
取り壊される前の第7サティアン(1998年5月撮影)ここからお借りしています。
宗教について考えてしまう
ここで問題となるのが、なぜ高学歴の人々が、詐欺師の口車に乗ったかということです。それは宗教という衣をかぶっていたからでしょう。ここで宗教について考えないわけにはいきません。
1)原初的な宗教心
宗教の定義は数えきれないほどあると、Wikipediaには書かれていますが、そこにあるどの定義をみても、どうもピンときません。仏教にしてもキリスト教にしても、人が死んだ際に儀式を行うのですから、死と深く関係しています。人は誰でも必ず死にます。そこには人知を超えたものがあります。今年の大雨の災害を見てもわかるように、自然の力も人知を超えたものがあります。こういった「人知を超えたもの(カミ)」に対する畏怖、あるいは恐れながらも敬うという気持ちが、人の進化の中で生まれたのだと思います。敬うのは「自然の恵み」を感じるからで、手に負えない災害をもたらすとともに、自然は木の実や草の実、あるいは獲物である動物をもたらしてくれるからです。また、自然の恵みというのは変ですが、人は死にますが次の世代、子が生まれてきます。
したがって、人知を超えたものに対する畏怖と畏敬が、その対象として自然に向けられるのは自然の流れです。それは山や巨岩であったり、森や巨木であったりするでしょう。その結果、畏怖に対しては相手を宥め、畏敬に対してはその恵みを感謝し、さらなる豊穣や子孫繁栄をお願いする、というイノリが供物をささげて唱えられたと考えられます。今でも各地に「山の神」に対する信仰が見られ、神事が行われています。ここに載せられた滋賀県栗東市上砥山地区の例はとても興味深いです。下の写真はこれとは別の地域の神事が雑誌「岳人」に紹介されたイラストで、ここからお借りしています。イラスト(左上)に見られるように、豊穣や子孫繁栄を祈るために、神事には人形による性行為を含む性的な要素が含まれています。
こういった行為は、その自然を同じくする集団で共有され、引き継がれていったでしょう。特定の対象(山の入り口や巨木など)には注連縄が張られ、やがて小さな祠が建てられるようになったと考えられます(写真はここからお借りしています)。氏神様の誕生です。
こうして、集団(ムラ)にはカミが来訪する依代(ヨリシロ)を備えた場所であるカミヤシロ(神社)ができていったのです。特定の対象から離れる場合は、鎮守の森という言葉にあるように、山(高くなくてもいい)や森(ヤマと呼ぶことが多い)を伴う場所が選ばれました。
写真はWikipediaより
もちろん、実際の山にカミヤシロがある場合もたくさんあります。出羽三山の月山や秩父の三峰神社などがよい例です。
このような、人知を超えたカミに対する畏怖と畏敬の心を、ここでは原初的な「宗教心」と呼ぶことにします。こういった心情は、当然のことながら、かっては世界中に存在したと考えられます。日本を含む東アジア以外の多くの地域では、その後の三大宗教の勢力拡大によってこれらの原初的な「宗教心」を示すものは消えて行ってしまいますが、その痕跡は、例えばギリシャ神話のオリンポスの山のように、神話などに名残をとどめています。日本は、原初的な「宗教心」が今も残っている、珍しい地域なのでしょう。我々は懐が深いのですね。
2)宗教の組織化
ここまではおそらく縄文人の文化だったのですが、ここに別の文化が入り込んで融合していきます。弥生文化です。ここから先の歴史は日本人のルーツと深く関係しますが、ここではあまり深入りせずに話を進めていくことにします。弥生人との融合の結果、自然(あるいはその一部)だったカミは、時間をかけて次第に、自らのルーツをたどる神話と結びつき、人格を与えられて神になっていきます。八百万の神の誕生であり、神道の成立です。この過程は大和朝廷による統一と不可分に結びついています(記紀の成立)。
稲作が行われるようになり、ムラの規模が大きくなり、より緊密な集団生活が行われるようになると、信頼や共助が重要になります。このことに、脳下垂体神経葉ホルモンであるオキシトシンがかかわっているのではないかと考えられています(attachment、アタッチメントあるいは愛着)。オキシトシン(下の図)は9個のアミノ酸からなるペプチドホルモンで、出産時の子宮平滑筋の収縮や、授乳時の乳腺平滑筋収縮に関係するホルモンとして発見されますが、その後の哺乳類での研究で母親が子を保育するのに重要な役割を演じていることが明らかになります。オキシトシンが単なる平滑筋の収縮だけでなく、保育行動にも働くようになるのは、子孫を残すために必要なこととして進化したのだと考えられます。ヒトではその後の研究で、信頼に関与するホルモンとしてクローズアップされます。また、男女間の絆が強くなるのも、オキシトシンが関与しています。このあたりの詳しいことは、拙著「比較内分泌学入門」(裳華房、2017)をご覧ください。
日本史では、大和政権の確立の後、仏教が日本に入ってきて宗教の問題は複雑になります。神道も仏教の影響を受けて変容していきますが、詳しくは延べません。ここではあくまで、宗教心のことを話したかったからです。日本人のメンタリティーの中には、原初的な宗教心が連綿と宿っているという点です。
3)三大宗教
日本に伝来した仏教は、中国でまとめられた仏典を中心とした教義体系です。もともとの仏教は、バラモン教(のちにヒンズー教となる)を信じるインドの小国の王子であったガウタマ・シッダールタ(釈迦)が、修行に出て悟りを開いてブッダとなり、教えを広めたもので、入滅後に言行録が弟子たちによって仏典としてまとめられてゆき、教団組織を作るようになります。下の釈迦像ははWikipediaより。
仏教は世界三大宗教の一つですが、他の2つはキリスト教とイスラム教です。キリスト教は、ユダヤ教徒のナザレのイエスが、布教と治療を行うのですが、ユダヤ教会によって迫害され処刑されます。その後、弟子たちによって復活したと喧伝され、イエスの言行が新約聖書としてまとめられ、教団組織がつくられていくのです。下左はよく見るイエス像、下右は当時の一般的なユダヤ人の骨からの復元像です(この記事より)。左図はヨーロッパ的に描かれすぎているようです。
イスラム教は、ずっと新しく紀元6世紀にメッカで生まれたムハンマドが、瞑想の後に啓示を得て、ユダヤ教にある預言者は自分だとして、アッラーを唯一神とする教えの布教活動を行います。当然、周囲の多神教を信ずる部族と衝突します。その後、メディナに移って宗教的・社会的共同体である組織を作っていきます。彼の死後、神の啓示としてムハンマドによって述べられた記録がコーランとしてまとめられます。下の図はWikipediaより。
これらの3つの宗教には、共通した点がみられます。いずれも強烈な個性をもった開祖が、既存の宗教から派生する形で新しい考えを打ち立てて広め、その言行録が経典となって教団組織によって受け継がれ、信者はそれをもとに、最終点はそれぞれ異なりますが、日々の行いや修業を重ねて、そこへ到達をはかる点です。
ここでは信者は、仏教ではブッダや如来、菩薩に、キリスト教ではイエス・キリストに、イスラム教ではコーランを通してムハンマドに、強いアタッチメントを感じているのでしょう。宗教とオキシトシンという研究があるわけではないのですが、これもオキシトシンの働きではないかと思っています。
このアタッチメントを強化するために、あらゆる宗教は音楽を使います、響き渡るように作られた建物内での僧侶による声明・読経、パイプオルガンによるミサ曲の演奏、導師によるコーランの朗誦がその例です。信者でなくても、教会の中で奏でられるパイプオルガンの、お腹の底に響く音色と奏でる高音を聴くと、感銘を受けるものです(下の写真はナントの大聖堂)。
さらに宗教では、奇跡がよく起こります。それを見て、あるいは聞いて、驚いたという感情がアタッチメントを強めます。こうしてある特定の対象に対する信仰心(原初的な漠とした宗教心から方向づけられた宗教心)が生まれるのだと思います。
このようにして、原初的な宗教心は、特定の宗教集団の特定の対象に対する信仰心へと変わっていったのです。はっきりした理由はわかりませんが、自然と切り離され、都市化が進んだ環境に住む人が増えたこと、その人々の間に格差が増大したこと、などがこの変化の根底にあるのではと感じます。
前者を原始宗教と貶め、これを起点として多神教から一神教へと進化したという仮説があるようです。しかし筆者はこれはとんでもない仮説だと思います。ここには、キリスト教の、「すべてに秩序があって、Godを頂点とした調和の取れた世界あるいは宇宙が美しく存在している」という、自然科学を含めた欧米の思想の根底に染みついている考えが影を落としているような気がします。こういう説明をみると、何となく「進化論の歴史」を思い起こしてしまいます。
しかも、東アジア発祥の仏教はともかく、残りの2つの一神教が世界的な広がりを示すのは、強引な布教の結果であるように思います。そこには武力が使われることもありました。もう一つ、ここで書いておきたいのは、教団組織ができると、それが集金装置となることです。お金の集め方はいろいろで、お布施、献金から始まり、多種類のグッズの販売、会報の講読、書籍の購入とあらゆる方法が取られます。
世界を見渡してみると、一神教がどんなに害悪を流しているかは、今や歴然としているように思えます。
4)再び素朴な疑問に戻り
首謀者は、ある時から宗教という衣を自らのヨガ教室に被せ、上に述べたさまざまな手法をまねて、奇跡を見せ、音楽や薬物やヘッドギアを使い、信者のアタッチメントを強化していったのでしょう。おそらく詐欺師の手法を援用したのだと思います。これらの結果が、意外と金儲けになるのだと分かってほくそ笑んだことでしょう。
おそらく高学歴な人ほど、こうした手法に騙されやすかったのだと思います。ヨガ教室へ治療のために通い、そこから入信したとか、空中浮揚の写真を見て興味を覚え、ヨガ道場に通うようになり入信したと述べている人が結構います。時代の風潮もあったのでしょう。前述した雑誌(廃刊になったトワイライトも)によるオカルトの流布、ノストラダムスの予言などというとんでも本の出版などの底流が、影響を与えたともいわれています。
人知を超えたものに対する畏怖や畏敬という原初的な宗教心と、特定の宗教集団に属して教祖に帰依するという信仰心は大きく異なります。上で述べてきたように、後者には生理的なメカニズムが強く働いているように思えます。それを「洗脳」という言葉で言い表しているのでしょう。こうなると、善悪の判断ができなくなり、集団からの離脱者(裏切り者)への攻撃から始まり、敵対者の排除に武力が使われていきます。その行きつくところが、、あの事件だったのでしょう。
5)高等教育の責任
これらの宗教団体は、大学のサークル活動を騙って勧誘を盛んにおこないました。当時、大学側は注意喚起のメッセージを発していたと思います。でも根本的なことは、大学を含む高等教育で、このようなことが起こらないような教育をすべきだったのではないかと考えます。
大学での教育の最終目的は、ある特定の専門家を育てることなのかもしれませんが、それ以前に学ぶべき、もっと重要なことがあると思います。
それは、人としての規矩(村上陽一郎のことば)あるいはノブリス・オブリージュ(ここでは、元の貴族の義務という意味からから進んだ概念)といったものを身につけることです。しかし、これらは、教えて身につくものではなく、自ら自覚的に獲得していくものかもしれません。その手助けになるのが、哲学と倫理学ではないかと思います。少なくとも、論理的かつ徹底的に考え抜く態度の訓練と、世界を認識するとはいかなることかを哲学で学び、大学で学んだものはそれ相当の義務を負い、人倫の道を踏み外すべきではないということを倫理学で学ぶのです。さらに加えると、上で論じてきたような原初的な宗教心についても学ぶべき(というよりは意識させるべき)だと思います。人知を超えたもの、それは怪しげなものではなく、この世界には確率的な事象があって、それは人知では計り知れないということを学ぶのです。畏怖と畏敬の念です。怪しげなデマや法螺を真に受けない態度でもあります。
科学と技術が進んだこの時代を生きる人々は、ややもすると科学と技術の向上で何でも解決できるという、傲慢な考えを持ちがちですが、上に書いたように、いくら台風進路予想の精度が上がっても、台風の上陸を阻止することはできないのです。また、地震予知という誤った言葉が使われたことにより、地震は予知できると考える人がいますが、これも確率の問題なので、予想することはできても予知することはできません。予知という言葉は予算獲得のための方便だったのでしょう。今朝(9月6日の早朝)起こった北海道地方の地震も、予知できたわけではありません。
直上の最後の方では余計なことを書きましたが、上述した学び(哲学、倫理学、人知を超えるものが存在することを認識する)を根底に、大学ではそれぞれの学問の成り立つ基盤と方法論、科学と技術の関係、特に後者の正と負の側面の認識、芸術的素養を、さまざまな形で学んでいくべきだと思います。これらの学びを「教養教育」ということができるでしょう。
このような教育を基盤として専門教育が行われれば、徹底的な論理的な思考から似非宗教のごまかしを見抜いて背を向け、百歩譲って背を向けなかったとしても、自分の学んだ知識を殺人の道具となるような化合物の合成に使い、そしてその化合物を実際に使用する、という愚挙は起きなかったでしょう。希望的な観測すぎるかもしれませんが。
6)大学での教養教育
ところで実際の大学における「教養教育」はどうなっていったのでしょうか。平成3年に大学設置基準の大綱化が行われ、教養教育を担う部局は廃止されたり、改組されたりして、その担い手が不明瞭になります。この行き過ぎを憂慮したのか、平成11年12月の中央教育審議会の答申の第3章 高等教育の役割(1)学部段階の教育では、「課題探求能力の育成」を重視するとともに、教養教育を重視し、教養教育と専門教育の有機的連携を確保する、と述べています。
教養教育の重視に当たっては、「学問のすそ野を広げ、様々な角度から物事を見ることができる能力や、自主的・総合的に考え、的確に判断する能力、豊かな人間性を養い、自分の知識や人生を社会との関係で位置付けることのできる人材を育てる」という教養教育の理念・目的の実現のため、教養教育の在り方について考えていくことが必要である。また、幅広い知識と豊かな人間性をかん養するためには、学生生活全般を通じて学生が学んでいくことが重要である、としています(以上は1と2の抜粋、3以下は省略)。
ところが、必ずしもこのような流れにならなかったのか、平成14年2月の中央教育審議会の答申(新しい時代における教養教育の在り方について)では、大学における教養教育の課題として、『各大学においては,「大学教育には教養教育の抜本的充実が不可避であり,質の高い教育を提供できない大学は将来的に淘汰されざるを得ない」という覚悟で,教養教育の再構築に取り組む必要がある』という切羽詰まったような文言があります。
このようなことを述べておきながら、平成16年には国立大学の法人化が行われました。「国立大学法人」という名前がついていますが、独立した法人として自分でも稼げというのです。これを転機として、あるいは世間の風潮もそうだったのかもしれませんが、大学に、役に立つ研究、お金になる研究をするような圧力がかかってきます。勢い、すぐには役に立たない教養教育は、隅に追いやられることになります。
法人化から10年以上が過ぎ、大学は、もっと役に立つ学問・研究を行う方向へとシフトしている感じがします。役に立たない、お金儲けにならない(と勝手に決めつけられている)分野は、切り捨てられるか、無理をして役に立つように見せるか、の道を選ばざるを得ない状況のようです。卒業時に、専門バカあるいは専門外の回り見えない人間にならないように、高等教育における真の教養教育の在り方を考えてほしいと思います。もちろん、さまざまな方法で、独自の試みを行っている大学もあることを、付け加えておきます。
8月22日に書き始めたものが、こんなに時間がかかってしまいました。9月3日には、台風21号が20号と同じような進路をたどって日本を襲い、大きな被害を生みました。また今日(9月6日)の早朝に北海道地方で大きな地震が起きました。どんなに科学・技術が発達して予報の精度が高くなっても、台風の進路を変えたり止めたりはできずに、身構えるだけというのは、やはり人知を超えた自然(カミ)があるのでしょう。自然をねじ伏せる、というのではなく、畏怖と畏敬の念を持って共存する、という方策を立てるべきなのでしょう。書き始めたころに盛んに鳴いていたセミの声は、すっかり虫の声に置き換わりました。
この項、最後の方は書き方が荒っぽく、論旨が明快でないのは、書き始めてから時間が経ってしまい、ともかくまとめようと急いだからです。後で改訂を加えるかもしれません。最後まで読んでいただきありがとうございました。