追補とかDialogueというのは、ちょっと大げさですが、11月23日に第10回「アトリエの末裔、、」を見た後、うまく連絡がついて舘山さんと会い、Dailogueを交わしました。
というか、いつもの「さか本」で久しぶりに杯を交わしました。ここはいつも魚が新鮮でおいしく、お酒も進みます。で、そのとき、もちろん標記の展覧会へ出品した作品についても話題になりました。ちなみに下でちゃんと記憶していなかった英語の作品タイトルは「feel each other’s minds」です。もう一度日本語のタイトルを書くと「そんな時の空気感」です。英語と日本語のタイトルの微妙な違い、この疑問に対して舘山さんは、髪の毛の中にある「手」に気づいたかと問いかけてきました。「手」って、なんのこっちゃ。前の投稿に書いてあるように、髪の毛の豊かな女性の首像だったと見えたので、そのように答えました。舘山さんは「手」にずっとこだわっているということはよく知っていましたが、、。ちょっとがっかりしたように、実は左右の「手」が髪の毛の中にあるんです、と応えました。だって腕はなかったよ、と言うと、そこが空気感と、、。
見逃していたとはちょっと、ショック。しかも前の投稿に書いたように写真を撮れなかったので確認のしようがない。それじゃあ、もう一度見よう、ということで、11月28日に都合が良いことに本郷三丁目でニュージーランドから来ている友人と、夕方に会うことになっているので、その前に上野に寄ってきました。
今回は2階だけ。まっすぐに目的の作品に近よって、よく見ると、、、。確かに向かって左側の髪の毛の中に小さな左「手」が見えます。反対側の右手はやや後頭部寄りにあります。先日はこれを髪の毛が盛り上がっているのだと思ったようです。今回はカメラを体で隠して写真を2枚、パチリ。自動焦点のコンデジなのでうまく撮れていました。切り出して、ちょっとリタッチしたのが下の2枚です(実際の木の色はもう少し白い。照明の生で赤がかぶっている)。
そうか、「そんな時」というのは、母と子が向き合って、母親が子供の背中に両腕を回し、子供がお母さんの髪の毛に手を入れて、見つめあっている、そんな時のことなんだ。具体的な形にならなくても、やさしい眼差しで見ている母の顔から、見るものが想像を膨らませてそこに子を置き、柔らかい空気感とともにお互いの心が通じ合う、、そんな情景を思い描けばいいのだ、と気が付きました。日本語と英語の作品のタイトルからはそんなことを感じさせます(間違っているかもしれませんが)。
ということはおいておいて、「さか本」では楽しく飲み、語り合いました。どんどん良い作品を作ってください。