今度は奈良だ(2)

続きです。近鉄大阪線で2つ戻って長谷寺駅へ(いやー、今朝は近鉄奈良駅から来たのだけれど、近鉄の路線も複雑ですねー)。駅は小高いところにあり、坂を下って大和川(初瀬川)を渡り、右に折れて初瀬街道をてくてくと。暑い日でかなり消耗。途中表参道を通るルートよりも手前で左折してしまい、不安に思いながら坂を上がり、さらに左折してようやっと仁王門へ続く参道の下に到着しました。

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仁王門を通って、有名な登廊へ。これも長い階段だー。

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両側にはボタンが植わっているが、どれもこの暑さで葉っぱが茶色に変色。季節になったら咲くのかしらと心配になるほど。夏の長谷寺はあまり魅力的ではない感じ、サクラとボタンの春がきっといいのだろう。ところでこの長谷寺、創建は奈良時代、8世紀の前半とか。古いお寺さんなのです。

繋屋を右に曲がって短い中登楼を通り、さらに左へ曲がって上登楼を本堂へ。登りきった本堂横に設置してある扇風機で風を受け、しばし涼んだ。暑かったー。

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本堂の相の間(正堂と礼堂の間)を通って、正堂に安置された本尊十一面観音を礼拝。この日は法要が営まれていた。静かに遠くから観音を眺める。撮影禁止だけど遠くからなので許して。

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そういえば、鎌倉にも長谷寺があり、あそこの本尊も十一面観音だった。知らべてみると、ここの観音像と同じ楠で作られ、一体をここ奈良の長谷寺へ、もう一体を祈祷の上、海に流したところ三浦半島に流れ着き、それを鎌倉に安置して鎌倉長谷寺としてと寺伝にあるという(Wikipediaによる)。うーん、結構、壮大な宗教上の作り話だ。

でも確かに、紀伊半島と三浦半島、房総半島は海流の関係で深く結びついている。地名にしても、南紀白浜と安房白浜、南紀勝浦と安房勝浦など同じものが多い。三浦半島の名前の由来となった三浦氏は平氏の子孫だとか。そういえば筆者が大学院博士課程の時は、東大の油壷臨海実験所で研究を行っていたのだが、そこは三浦道寸が北条早雲と戦って討ち死にした新井城の跡地にあり、空堀の跡などがあったことを思い出す。あり得ない話ではないのかも、、。

脱線したので軌道修正。本堂の回りをうろうろしていたら、一段の若いお坊さんが本堂前を通り抜けて登楼を下って行った。修行中なのかしら。

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お決まりのコースをたどって五重塔のわきを通り、六角堂の横を抜けて最初の参道へ。

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途中右へそれて本坊の方へ。皇族の方のお手植えの松がたくさんある。本坊の前から見上げると、初瀬山の中腹に抱きかかえられるように建てられて本堂の様子がよくわかる。懸け造り部分(清水の舞台のような)は工事中では入れなかった(写真では工事用フェンスでおおわれている)。

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帰りは表参道をちゃんと通り、途中でおひるごはん。息を吹き返して、元の初瀬街道を近鉄長谷寺駅へ。大阪線で大和八木駅まで戻って、今度は橿原線で飛鳥駅へ。駅前で自転車を借りて、今度は明日香を巡ろうというのです。まだまだ続くけど、今日はここまで(どこかで聞いたセリフだけど)。


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