塑像実習後半最終日あるいは最後の晩餐

2月22日に塑像実習の最終日がありました。ずらっと並んだ10以上の首像を前にして、なんとなくその後の運命を予感して「最後の晩餐」という言葉が浮かびました。先日、江戸東京博物館で開催されているレオナルド・ダビンチの展覧会を見に行ったからでしょうか。20160222-1
ともあれ、この日を最後に制作した首像ともお別れです。でもその前に講評会、その前に講師の先生による採点、その時間を利用して例年のごとく石膏取りの説明を小生がしました。

2010年の6月に、当時この授業の講師を勤めていた舘山拓人先生の指導の下で、上野の東京芸大の研究室で、初めて小生が制作した首像を使って、石膏取りの実技を習いました。「医療と造形」がGPに採用されたので、いろいろな記録を取っておく一環として、この過程を撮影、集して短くしたものがあり、それを使って塑像作品を残すためには石膏取りをするのだ、という説明をするのです。

採点が終わり講評会です。学生は皆自分の作品について思い入れを話し、先生が講評します。2班に分かれ、あちらは藤原彩人先生、こちらは角田優先生。小生、後半は角田先生のグループに入って指導を受けているので、こちらで講評会に参加。20160222-2
あちらの声が大きく、二つのグループを隔てるものはないので、こちらは劣勢気味。がんばれー!20160222-320160222-4あら、スマホの画面に首像が並んだ写真が表示されているよ。
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先生は着眼点をほめつつ、こうすればもっと良くなる、この視点が足りなかったと的確に指摘。20160222-6この作品は、スケッチを含めてとてもいいなと小生は思いました。先生もそのように言っていたと思います(正確にはなんて言ったか忘れました、もうすぐ自分の番なのでドキドキしていたから)。

最後に小生の作品の講評。あがっていたのでなんて言われたか覚えていません。20160222-7
こうして講評会は終了。そして、、鉄ベラでもって頭部をざっくり、、。これ以上は残酷で悲しいので書けません。

こうして2015年度の塑像の実習は終わりました。部屋の片づけと掃除をして、来年度に引き継ぎます。すべて終わった後に講師控室で、いつものように藤原、角田先生と雑談。これがまた楽しいのです。両先生、本当にありがとうございました。また来年もよろしく(って、まだやるつもりかよ、という声を無視して)。


塑像実習後半編

いやー、1月1日に書いてからだいぶ時間がたってしまいました。ずっと原稿書きに追われていて、書き込む時間が取れませんでした(原稿書きはまだまだ続いています)。ちょっと息抜きに、久しぶりに近況の報告です。

東京医科歯科大学歯学部2年生に開講されている「医療と造形」の塑像の実習後半が、1月18日からスタートして、今週の月曜日の2月15日で5回が終わってしまいました。後半にも最初から参加して、塑像の実習を楽しみました。そのあらましを。

前半と同じく、第1回は、学生同士が順番にモデルとなって、デッサンをする、次に心棒造り、最後に藤原先生の粘土練りの模範演技(?)と続きます。
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粘土練りの動画も載せておきます。

第2回目(1月25日)は最初にモデルさんのスケッチ。次に荒付けです。荒付けの説明をする藤原先生をデジカメで撮影した動画を載せておきます。デジカメの悪い癖で対象が動くとピントを探しに行くために時々ぼけてしまいますが、お許しを。いやー、それにしても、うまく特徴をとらえたデッサンになっていますねー。

最初のスケッチと、小生の荒付けの結果は以下の通りですが、、。宇宙人ですね。
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そうそう、今回、藤原先生からいただいたアドバイス、「見ていると、ちまちま作ってしまうようなので、少し大きく作って削り出す気持ちで」。

というわけでこれを念頭に、第3回から5回まで、ひたすら制作を続けました。第3回目(2月1日)の最後のものと、第4回目(2月8日)の冒頭で、どうも眼の位置がおかしいので臆せず取り除いて、作り直したものです。
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そうして第5回目(2月15日)、今日がモデルさんの入る最後の日です。なるべく作ったものを遠くに置いて観察し、モデルさんと比較して細かいところを修正するという作業の連続。でもどうも形がおかしいと感じていたら、角田先生が、「前後に比べて両側がもっと狭いはず、こめかみ部分を見てごらん、削るべき」というサジェスチョン。確かに平面的に見すぎていて、そのために奥行きのバランスが悪くなっているらしい。思い切って両側をざっくり削ってみると、確かによくなった感じ。全方向の写真を載せておきます

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まだまだ稚拙な感じがするが、なんとなく雰囲気は出たかなーと思っています。来週が講評会で、それが終わると作品を壊して終了、寂しいです。


2016年、年頭のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。
今年はアメリカのアラバマ州Auburnからのご挨拶です。

旧年中はいろいろとお世話になりました。改めてお礼申し上げます。またご迷惑をかけっぱなしというものもあり、回復に努めています。本年もどうぞよろしくお願いたします。

暮れに日本で上の娘一家と恒例の集合写真を撮り、アメリカに渡って下の娘の一家に我々と旦那のご両親と妹が加わった米仏日、揃い踏みの集合写真を撮ったので、それを張り付けてのご挨拶といたします。

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昨年を振り返ってみますと、実に様々なことが日本で、そして世界で起こりました。何か歴史の曲がり角を半分通過したような感じがします。それに伴ってか、日本でも確実に一つの方向に舵を切った感じがします。しかも十分な議論もコンセンサスもなしに。もう一度、一緒くたにしたものを分けて、それぞれについて、これはよい、これはだめという作業が必要なのではないでしょうか。

世界のことを偉そうに言える立場ではありませんが、一神教の内輪もめを超克するためには、仏教を含めた多神教(原始宗教)の思想が重要な気がしてなりません。

と、堅苦しいことを書きましたが、改めて本年もよろしくお願いいたします。皆様にとって今年もよい年でありますうように。


久米島に行ってきた(2)

久米島に関しては、まだまだ書き残したことがあるのだけれど、とても全部は書ききれない。とりあえずここでは特に記しておきたいことを、書き留めておきます。

久米島が地学的に大変興味深い島だということは書きました。全島が安山岩を中心にしたマグマの固まった塊に、サンゴなどからできた石灰岩が上に積もってできています。それが隆起したり沈んだりという運動で、だまざまな景観を作っています。

前回述べたタチジャミのさらに海岸沿いの西側に、ミーフガーと呼ぶ場所があります。ここには縦に裂けたような崖が海岸に立っているのですが、これは海側の石灰岩層(左)と陸側の凝灰角礫岩層(右)がずれて生じたものだそうです。

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さらに手前の方の平たいところには、赤い層と灰色の層がきれいに積み重なっています。下の赤い層はやはり凝灰角礫岩層で、上の層は石灰岩、でもミーフガーの石灰岩よりもずっと新しいもの(約4000年前だとか)だそうです。

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島はかなりの部分が石灰岩でできているので、当然、鍾乳洞があります。その一つ、ヤジヤーガマがさらに西に行ったところにあります。ガマというのはこちらの言葉で自然にできた洞窟のことです。本当の南部には約2000ものが間があるとか。沖縄戦では住民の避難場所になり、日本へも底を使いまた野戦病院としても使い、多くの悲劇が生まれたところです。

ここは、かなり大きな鍾乳洞で、中をめぐることができるようになっていますが、照明設備は一切ないので、懐中電灯が必携です。道から木の階段を下りると入り口が2つぽっかりと開き、片方は入れないようになっています。墓地として使われていたとか。確かに焼き物のちょっと大きめの茶色の骨壺が置かれていて、割れているものがあって骨が散らばっています。そっと心の中で手を合わせ、人が入れるようになっている方へ。

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およそ800mほど洞窟を行くと天井部分が崩落してぽっかりと開けた場所に行きつきます。そこから先にも行けるのですが、這っていくようなところなので、ふつうはここで引き返します。途中でさまざまな大きさの石筍や石柱があります。暗い中を懐中電灯の明かりを頼りに辿っていく途中で、幸いなことに途中で天井からぶら下がっているキクガシラコウモリに出会いました。LED懐中電灯で照らしてパチリ。

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先ほど述べた折り返し点のすぐ手前右側には石を積んだ祭壇の様なものがあり、そこにも茶色の骨壺が。さらに進んだところにも無造作に置かれていて、大腿骨や頭頂骨の一部が転がっていました。何たる死の近さ。ここでは市はごく身近な存在なんだと改めて感じました。

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次は、ヤジヤーガマからさら西へ行き、島の西端にある久米島飛行場の東側に沿って北上して、飛行場の東北東の北原海岸の石切り場に向かいました。ここは明治から戦前までの間、屋敷の囲いやお墓、家屋の部材に使うために、石灰岩を切り出した跡です。きれいに切り出した跡が残っていて、人の作業なのだろうけれど、大変な労力だったろうと思いました。朝いちばんに訪ねて上江州家住宅の囲いは、まさに石灰岩を丁寧に積み上げたものでした。ここから運んだのかしらと思い、急にイースター島のモアイ像のことが頭をよぎりました。

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これ以外に、3つの城(グスク)跡(具志川城跡、宇江代城跡、登那覇城跡)も見ました。宇江代城跡は久米島で一番高い(といっても310m)の頂上にある山城で、ここからは久米島が一望できます。現在はその遺構しか残っていないのですが、山城といっても簡単な館が建っていたと思われます。城のことをちゃんと書こうとすると、久米島の歴史、琉球王朝の歴史に立ち入らなければならないので、ここで止めておきます。沖縄の歴史についてはまたよく考えて書くことにします。

いずれにしても、久米島で見聞きしたことは、新鮮な驚きに満ちたものでした。案内してくれた久米島西中学校の島村校長先生(上の写真の青いシャツの方です)に改めて感謝します。


ギャラリーせいほうのYear-End Exhibition

銀座8丁目のギャラリー「せいほう」で開かれている、Year-End Exhibition of Mini-Sculpturesへ行ってきました。この画廊は、毎年末、中堅(たぶん)の彫刻家の作品展を行っていて、多数の作品が出展され即売もされています。「医療と造形」でお世話になった、舘山拓人さん、奥田真澄さんの作品も出展されているので、12月18日、用事の合間に訪ねました。

そうしたら全く偶然に、奥田真澄さんが在廊されていて、たぶん3年半ぶりにお話しすることができました。医科歯科大学の本部の方で、上記の科目が始まった時は、実習の授業が終わった後は必ず、「ナポリの下町食堂」でお昼を食べたものでした。

奥田さんは現在は三重大学に移って活躍されています。全然、変わらず(髪型がちょっとポップになったかしら)、いろいろと話ができて、とてもよかったです。作品はテラコッタの、上向きに寝ている女性像で、「秋の気配」というタイトルでした。

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舘山拓人さんの作品は、「あるときの情景-現れた結晶-」というタイトルで、今度は髪の毛の中に手はないようでした。代わりに何かが頭(脳あるいは気持ち)の中に芽生え始めているのでしょうか(照明の関係で黄色がかぶっていますが、うまく調整で取れませんでした)。

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このあと資生堂ギャラリーで、小沢剛「帰ってきたぺインター」を見ました。ぺインターF(藤田嗣二)の生涯を「もしもで」描いたものだそうで、とても興味深い内容でした。あまりじっくりと鑑賞する時間はなかったのですが(特にビデオを)、絵を見せるというより、ぺインターFを題材に、歴史とか世界を見せようとしている感じがしました。


塑像実習(4)

12月14日に塑像実習の6回目がありました。先週の5回目は沖縄へ行っていたのでスキップしてしまい、最終回になりました。もうモデルさんは入らず、講評会と作品をもとに戻す作業です。

まずはずらりと並べました。なかなか個性ある作品が並んでいますね。

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これらを先生方が評価する間、別室で石膏取りの過程を映したビデオを使って、粘土の作品を石膏の作品にどうやって移すか、を小生が説明しました。2010年の6月の暑いなか、舘山拓人先生の指導で、その年に作った小生の塑像2体を上野の東京芸大に持ち込んで、3日がかりで石膏取りをしたのを詳細に記録したものです。

30分ほどの説明が終わるとだいたい採点が終わっていて、みんなで椅子を持って作品の回りに陣取ります。これからは講評会で、一人一人が自分の作品に対する思いを語り、先生が講評するという段取りです。

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さて個性豊かな作品を、どうさばいていくのか。

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どの作品に対しても、良いところをまず挙げて誉め、もう少しこうしたらもっと良くなる、という講評です。

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先生の講評にみんな納得。学生さんたちは、もうこのような作品を作る機会はないかもしれませんが、人体とくに頭部の形がどうなっているか、外観とその中にある骨格と筋がどのような関係にあるか、自分の手で触って作り上げている過程は、今後の学習に大いに役立つと思います。

ちなみに小生は、もう10回以上やっていますが、毎回おもしろくてやめられません。その割には、ちっとも進歩しません、まだまだ修行中です。

この後は、みんな、自分と作品のツーショットを自撮りをして、記念に。そしてとうとう最後の瞬間、作品を元の粘土に戻す作業、あまりに残酷でシャッターは切れません(ちと大袈裟ですが)。

角材と塑像板をきれいに洗って、お部屋を掃除しておしまいになりました。

今日は比較的時間の余裕があったので、始まる前と終わってから、藤原彩人先生、角田優先生と小生の3人で、いろいろと雑談しました。SSISSのページに小生が書いたブログにPowers of Tenの動画を載せておいたのですが、それに関して藤原先生からこの先品は1977年にまだCGがなかった時に、チャールズ・イームズというデザイナーが作った作品で、時折授業の中で使うということでした。さらに、イームズという人は建築家でもあり、デザイナーでもあり、イームズチェアで有名な人だといういうことで、イームズチェアの写真をスマホで見せてくれました。こんな椅子なら見たことがあります(下の写真はLOHASのサイトより)。

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もっともオリジナルは合板成型の技術で作ったもので、写真のようなプラスチック成型ではないそうです。

Poers of TenのWikipediaの説明

話はさらにあちこちに飛んで、話に花が咲きます。この時間もとても心地よく、塑像の実習をやめられない理由になっています。

後半は1月18日から。今度は角田先生につきます。角田先生、よろしくお願いします。


久米島での出前授業

12月4日(金)の午後2時から4時10分まで、沖縄県久米島町久米島西中学校で「久米島の自然と生物のかかわり」というタイトルで、3年生の生徒45人に出前授業を行いました。

最初に久米島西中学校の島村一司校長先生から、「久米島は周囲40kmの小さな島ですが、南西諸島全域の地層が見られ、動物が固有の進化をとげています。キクザトサワヘビやクメジマノコギリクワガタ等、頭に「クメジマ」とつく昆虫が多く見られます。生物と環境がどの様に関わり合っているのかを話してほしいです」という要請を受けました。調べてみるとたしかに、久米島には、クメジマの名を冠した固有種が多数生息しています。上に述べた以外にも、クメジマボタル、クメトカゲモドキ、クメジマミナミサワガニ、クメジママイマイなどです。

久米島は沖縄本島の西にあり、屋久島につながる東端のトカラ列島から、台湾につながる西端の与那国島までの孤状列島の中に位置しています。ちょうどフィリピンプレートがユーラシアプレートに沈み込む琉球海溝に平行した火山フロントに沿った火山島と付加体と、さらにサンゴ礁が堆積してできた石灰岩でできています。動物地理区では、日本本土が旧北区に含まれるのに対して、東洋区に属していて、昔、習った渡瀬線を思い出します。

プレート境界JODC(JODCの海底図にプレートの線を手書きで入れました。そのため線の境界は正確ではありません)

そこで構想10年(というのは嘘ですが)、やはりプレートテクトニクスの話を入れなければと思い、ウェーゲナーの大陸移動説から話を始めました。話の筋は以下のとおりです。

1)久米島には、どうして「クメジマ」の名前の付いた固有種が多いの?
2)地球の成り立ちを理解する
3)地球上にはどうしてこんなに生物がいるの?
4)進化と遺伝
5)ふたたび久米島の自然について

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校長先生に紹介されて話し始めました。中学3年までに、第二分野で、大地の成り立ちと変化、プレート、生物と細胞、生物の変遷と進化、生命の連続性、細胞分裂、遺伝の規則性と遺伝子(DNAが本体であること)などを学習してきているはずです。これまで学習したことが、すべてつなっがているのだということを強調して話を進めました。

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一生懸命、わかりやすくと気をつけながら話しているつもりですが、客席の反応は、、?うーん。笑顔が足りない、おっかない感じ。今、写真を見ると感じます。まだまだ話し方がダメなんですね。

最後に代表の方からお礼の言葉を述べてもらいました。また、後で感想を送ってもらいました。その中からいくつか。

「内容は難しかったです。しかし、久米島の動物や他の動物のしくみなど時代に適した体になっていくことを知り、とてもすごいと思いました。(後略)」
「とてもむずかしかったです。プレートとかやっていたのでじしんのはなし、つなみの話なども聞きたかったです。本当にむずかしかったです。」
「今日の授業では地理で学んだことや理科で習ったことがつながっていることに驚きました。一見、つながりがないようなプレートの話と久米島を含む沖縄の生態系が関係していることが新しい発見でした。また、理科で習ったことも出てきたのでとてもわかりやすかったです。」
「今日の出前授業は、今までに習ったことや、新たに知ることの多かった授業です。まず、最初の地球はほんとうはジグソーパズルのピースのようにくっついていたのが、はなれていったということでした。だから、もし大陸がくっついていたら外国にも簡単に行けるのかなと思いました。私は久米島に15年間住んでいるけれど、まだまだ久米島の生物や自然について知らないことばかりでした。遺伝や形質などについては理科の授業でも勉強していたのですぐに理解することができました。今日はおいそがしい中、私たちの出前授業をしてくれてありがとうございました。おかげで、久米島の自然や生物について、前よりも知ることができs巻いた。今日学んだことを忘れずに、いろんな人に久米島の良さをしょうかいできたらいいです。今日はほんとうにありがとうございました。」


沖縄県久米島へ行ってきました

塑像の実習を1回スキップして、沖縄県久米島と本島の那覇へ行ってきました。SSISSの活動として久米島にある久米島西中学校で「久米島の自然と生物のかかわり」というタイトルで、3年生に対して生物の授業を行うためです。授業のことは他で書くので、ここでは久米島について書きます。

これまで沖縄本島と石垣島へ入ったことがあるのですが、久米島は初めてです。久米島は、沖縄本島の西約100㎞に位置する、面積59.5平方キロ(東京都区内の10.5分の一)の小さな島で、蝶が翅を閉じて上向きに花にぶら下がって止まっているいるような形をしています。那覇空港から25分で、島の西端にある久米島空港に着きます。29731map     (上の図は、楽天トラベルのサイトから)

島は、地下のマグマが噴出して形成された安山岩と、その後に堆積したサンゴからできた石灰岩からなり、島のあちこちに両者が層をなした、あるいはずれて乖離した、あるいは突出した、興味深い地形が見られます。

たとえば、奥武島(おうじまと読む、上の地図のイーフビーチホテルの文字のすぐ上にある小さな三角形の島)の海岸には畳石と呼ぶ多角形の割れ目の岩が、亀の甲羅のように並んでいます。

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これは今から2千万年前に噴出した安山岩のマグマが冷えて固まるときに柱状に割れ目が生じてできたもので(柱状節理)、波に浸食された断面が見えているということです。ここでは断面ですが、久米島の島南端近くの島尻には、海岸に安山岩の柱状節理がいくつも転がっていました。

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島の北端には、天宮城(あんまーぐすくと読む)とタチジャミという岩山があります。アンマーグスクは城壁を積んだように岩が重なっているのでその名があるのでしょう。

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一方のタチジャミは、岩山というより屏風を立てたような形で、高さ40m、横幅70m、厚さ5mあります。正面から見ると岩山のように見えますが、20151203-4

横から見ると、20151203-5と、こんな具合です。

海岸に沿ってびっしりとアダンの木が密生しています。海岸の木には実が付いていませんでしたが、ホテル近くの民家の庭先に植えられていたアダンには実が付いていました。

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この実を見てすぐに田中一村の絵「アダンの木」を思い出しました。と調べてみたら、「アダン」というタイトルで2005年に田中一村の生涯を描いた映画が公開されていたんですね。知りませんでした。不思議なつながりですが、今回の久米島の授業で、分類学の話のなかでアカショウビンを例として使ったんですが、そのとき田中一村の描いた「ダチュラとアカショウビン」「崖の上のアカショウビン」「ビロウとアカショウビン」を見せました。うーん、つながっている、ていうか無理につないでいる?

ということで、今回はここまで。


塑像実習(3)

11月30日に塑像実習の第4回目がありました。23日が祝日だったので1週間飛んでの実施です。なので、最初に藤原先生から、新鮮な目でモデルさんと制作途中の自分の作品を見比べて、制作を再開してという、お達しじゃない注意かな、がありました。みんな真剣に取り組んでいます。あっという間に時間が過ぎていきます。

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3ポーズ終わったところで少し長い休みがあります。その間に、藤原先生から「みんな集まって」。だいたい基本的な形ができてきたところで、人が注目する目、鼻、口について例を示しながらのお話です。顔の中で特徴的なこれらの部分は、自分が見たいように見てしまう、という点を注意されました。特に、目が難しく、目頭と目尻の位置関係、上瞼と下瞼の位置関係について、実際に作りながら説明されました。みんな、納得の表情で聞いています。

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でもいざ自分で作ると、なかなかうまくいきません。小生も毎年のことですが、目がうまく作れません。来週は沖縄へ行くために休むので、少しピッチを上げて、この日の最後には大体の仕上げをしました。来週がモデルさんが入る最後の回で、その次はもう講評会です。時が過ぎるのは早い!というわけで、今回の最後の段階で制作を終わらせた小生の作品です。

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モデルさんはもう少し細面で、目と口の間が長い気がしますが、雰囲気は出ているのではないかしらと手前味噌です。


第10回「アトリエの末裔、、」追補あるいは作者とのDialogue

追補とかDialogueというのは、ちょっと大げさですが、11月23日に第10回「アトリエの末裔、、」を見た後、うまく連絡がついて舘山さんと会い、Dailogueを交わしました。

というか、いつもの「さか本」で久しぶりに杯を交わしました。ここはいつも魚が新鮮でおいしく、お酒も進みます。で、そのとき、もちろん標記の展覧会へ出品した作品についても話題になりました。ちなみに下でちゃんと記憶していなかった英語の作品タイトルは「feel each other’s minds」です。もう一度日本語のタイトルを書くと「そんな時の空気感」です。英語と日本語のタイトルの微妙な違い、この疑問に対して舘山さんは、髪の毛の中にある「手」に気づいたかと問いかけてきました。「手」って、なんのこっちゃ。前の投稿に書いてあるように、髪の毛の豊かな女性の首像だったと見えたので、そのように答えました。舘山さんは「手」にずっとこだわっているということはよく知っていましたが、、。ちょっとがっかりしたように、実は左右の「手」が髪の毛の中にあるんです、と応えました。だって腕はなかったよ、と言うと、そこが空気感と、、。

見逃していたとはちょっと、ショック。しかも前の投稿に書いたように写真を撮れなかったので確認のしようがない。それじゃあ、もう一度見よう、ということで、11月28日に都合が良いことに本郷三丁目でニュージーランドから来ている友人と、夕方に会うことになっているので、その前に上野に寄ってきました。

今回は2階だけ。まっすぐに目的の作品に近よって、よく見ると、、、。確かに向かって左側の髪の毛の中に小さな左「手」が見えます。反対側の右手はやや後頭部寄りにあります。先日はこれを髪の毛が盛り上がっているのだと思ったようです。今回はカメラを体で隠して写真を2枚、パチリ。自動焦点のコンデジなのでうまく撮れていました。切り出して、ちょっとリタッチしたのが下の2枚です(実際の木の色はもう少し白い。照明の生で赤がかぶっている)。

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そうか、「そんな時」というのは、母と子が向き合って、母親が子供の背中に両腕を回し、子供がお母さんの髪の毛に手を入れて、見つめあっている、そんな時のことなんだ。具体的な形にならなくても、やさしい眼差しで見ている母の顔から、見るものが想像を膨らませてそこに子を置き、柔らかい空気感とともにお互いの心が通じ合う、、そんな情景を思い描けばいいのだ、と気が付きました。日本語と英語の作品のタイトルからはそんなことを感じさせます(間違っているかもしれませんが)。

ということはおいておいて、「さか本」では楽しく飲み、語り合いました。どんどん良い作品を作ってください。


科学と生物学について考える一生物学者のあれこれ